奈良 友夫(なら ともお、1917年6月20日 - )は広島県出身の元プロ野球選手、内野手。広島商業で鶴岡一人がエースとなった1933年春選抜大会に鶴岡のあとの5番レフトでベスト4入りに貢献。鶴岡が卒業した翌1934年夏選手権では、門前真佐人や白石勝巳らのいた広陵中学に広島予選準決勝で敗れた。広陵を決勝で降した藤村富美男らのいた呉港中学校が全国制覇を果たした。翌1935年から遊撃手または二塁手となり、1936年は4番二塁手で山根実らと1936年春選抜大会出場したが初戦敗退した。1937年大阪タイガースに入団。塚本博睦と同じ日の契約だった。第二の鶴岡といわれた攻守揃った大型内野手として、石本秀一監督からスパルタ指導を受け、同年春季リーグで規定打席に到達した。藤村富美男が投手として投げてるうちは二塁に入ったが、本堂保次のコンバートや新入団選手の加入、また練習中に鎖骨を折るなどの不運で出場機会が減り、1939年いっぱいで退団した。広島に帰郷後、親戚の事業を手伝うため満州に渡り、その後1950年に全広島で第21回都市対抗野球大会に出場した。
出典:wikipedia
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