マグナート(magnat, magnate)は、ヨーロッパにおいて血筋や富などによって社会的に高い地位にある人物や貴族を指す。中世には、伯爵、公爵、プリンス(領国主)など領地を持つ貴族をマグナートと呼び、男爵とは区別することがあった。語源はラテン語で「偉大」という意味の言葉 "magnus" で、これが俗ラテン語で偉人を意味する "magnas" となった。特にポーランド王国(後にポーランド・リトアニア共和国)では、マグナートと呼ばれる貴族階級が富と力を独占した。ポーランドのマグナートと同じような階級の例としては、中世後半以降のスペインで最高位の貴族を表すグランデ(grandee)や、中世のスウェーデンの領主を現すストーマン(storman)があるが、これの単語はいずれも「偉人」という言葉から派生している。またマグナートは、ハンガリー王国の上院議員(イギリスの貴族にあたる)を指す意味もあり、この議会は特にマグナート院(Főrendiház)と呼ばれる。ポーランド・リトアニア共和国では、貴族階級(シュラフタ)に属する人は法的にはその民族的出自や財産の多寡にかかわらず全て対等だった。したがって、マグナートはとくに法律で決められたわけではない非公式な肩書きで、膨大な資産を持つ非常に裕福な貴族を指した。マグナート(すなわち大貴族達)は、下級貴族や君主(Król)と政治支配力をめぐって張り合った。この時代の状態を黄金の自由と呼ぶ。1569年のルブリン合同の後、内外の経済事情が大きく変わってきたためマグナートへの土地集中に拍車がかかり、17世紀の後半頃から、マグナートは共和国の権力争いに競り勝ち、国内の領土のほとんどはマグナートの手中に収まった。マグナートは小貴族達を買収し、地方議会であるセイミクはもちろん、国会であるセイムも掌握した。更に政府や聖職者の高位もマグナート出身者が占めたことから、国王の側近会議であるセナト(元老院)も彼らの手中にあった。マグナートは膨大な領地からの収入に加え、セナトなどの政府の職にある時には給与の代わりに王領地の一部が貸与された。更に王領地などを担保として国王に戦費の貸付や軍の動員に協力するなど、国家の運命を左右することが多く、一部のマグナートは国王への不満からロコシュ(rokosz、日本語で「強訴」)と称される反乱を起こすこともあった。その結果国王の権威が軽んじられてポーランド・リトアニア共和国を割拠状態に陥れ、後のポーランド分割の遠因となったと非難されることもある。もっとも、中世・近世のポーランド・リトアニア共和国の文化・芸術が、マグナートの庇護を受けて発達したという側面も有している。ポーランド・リトアニア共和国では、「マグナート」にあたる他の呼び名もある。用いる敬称。
出典:wikipedia
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