河野 玉澄(こうの たますみ、生没年不詳)は、7世紀ごろの武将。物部姓越智氏一門河野氏の祖とする。663年に起こった白村江の戦いの時、伊予水軍を率いて出陣した越智守興と、戦地の唐の武将の娘との間に生まれた子が玉守・玉澄兄弟とされている。その後、伊予国風早郡河野郷(現在の愛媛県松山市)に居を構えたことから河野玉澄(こうのたますみ)と名乗り、河野(こうの)を名乗った初代とされている。また本人のものと伝承されている墓は愛媛県今治市の小泉にある。河野益男の父。兄に矢野玉守(伊予橘氏)がいる(『予章記』 「矢野系図」)。
出典:wikipedia
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