LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

豊橋 (橋)

豊橋(とよはし)とは、愛知県豊橋市にある一級河川豊川に架かる橋である。旧東海道(現在は愛知県道496号白鳥豊橋線)の橋で、豊橋市船町(ふなまち)(旧渥美郡)と豊橋市下地町(しもじちょう)(旧宝飯郡)を結んでいる。江戸と京を結ぶ東海道でかつては指折りの大橋で、征夷大将軍を頂点とする徳川幕府の直轄の天下橋であった。豊橋市の名はこの橋にちなんで付けられた。現在の橋は1986年(昭和61年)4月に架け替えられた。初めて架橋されたのは鎌倉時代の貞応3年(1224年)で、名は今橋であった。※三州吉田記および豊橋志要:愛知県豊橋市参事会:明42.12月発行によると、徳川氏の武将の酒井忠次が、1570年(元亀元年)、関屋口から下地にかけて吉田川(豊川)に吉田大橋(土橋)を架ける土木工事を実施した。その後、池田輝政が、船町を整備し前城主・酒井忠次が吉田川に架けた土橋の吉田大橋を木橋に架け替え、その位置も整備した下流の船町に移動させた。『三州吉田記』に「元亀元年、関屋之渡口始メテ土橋ヲ架ス」とあり、1591年(天正19年)にこの土橋を船町へ移すと記す。江戸時代には、江戸幕府が整備、管理する長さ120間の大橋であった。この船町の吉田大橋(吉田橋)は、明治時代に架け替えた時、とよはしと名称を変更した。さらに、昭和に入ってから国道1号を整備した際、その上流(関屋口から下地)に新たに掛けられた橋を、以前の船町で呼称していた吉田大橋(よしだおおはし)と、再び名付けた。この国道整備により、かつての東海道は愛知県道496号白鳥豊橋線として県道になり、正式にはもともと架かっていた県道の大橋(西側の橋)の名を豊橋(とよはし)とするようになった。以下を参照。上流側(東)の吉田大橋は国道1号の拡張のため、1959年(昭和34年)、酒井忠次が架橋したとされる辺りに豊橋に代わって新設されたものである。その時以来、豊橋(西の橋)と吉田大橋(東の橋)は別の橋となったが、元来この2つの名は同じ橋を指すものであった。そのため、大橋と言うと豊橋を指す場合と吉田大橋を指す場合がある。駅(豊橋駅・新豊橋駅・駅前停留場)から北へ進む大橋通は豊橋を渡る道であり、吉田大橋を渡っていない。豊橋駅より大橋通(愛知県道388号大山豊橋停車場線、愛知県道393号豊橋港線、および、愛知県道496号白鳥豊橋線)を豊橋商工会議所方面へ北進。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。