佐竹 敬久(さたけ のりひさ、1947年11月15日 - )は、日本の政治家。秋田県知事。自治体国際化協会副会長。元秋田市長、前全国市長会会長。佐竹北家の末裔で21代目にあたる。秋田県仙北郡角館町(現在の仙北市)出身。秋田県仙北郡角館町(現・仙北市)に生まれる。1966年(昭和41年)3月、秋田県立角館高等学校卒業。1971年(昭和46年)3月、東北大学工学部精密工学科卒業。1972年(昭和47年)3月、秋田県庁に入庁し県庁職員(地方公務員)として勤務。商工部門、地方行政部門を担当し、工業振興課長、地方課長、総務部次長を歴任。1997年(平成9年)の秋田県知事選出馬のために県庁を退職後、12月に地域経済研究会設立。2001年(平成13年)7月、秋田市長選挙に立候補、当選した。2005年(平成17年)に再選。市長当選後、秋田県市長会会長、全国市長会副会長、全国市長会財政委員長、政府税制調査会委員、全国市長会会長などを歴任する。2009年(平成21年)2月23日、任期を約5か月残して一身上の理由で辞職願を提出し、2月24日の市議会にて全会一致で承認され、辞職した。全国市長会会長職もこれに伴って失職となり、当面は後継を置かずに副会長9名が職務を分掌する形を取った。その後、自民・社民県連などの支持を得て秋田県知事選挙(2009年4月12日投開票)に出馬し、民主県連などの支持を受けた川口博などを破り、初当選を果たした。2013年には2期目を目指して出馬を表明し、3月21日の選挙告示日に立候補手続きを行うも、対立候補が現れずに無投票での再選となった。佐竹北家は清和源氏の名門佐竹氏の分家にあたり、江戸時代には秋田藩の角館の統治を行っており、明治時代には男爵に叙せられた。敬久は、外祖父である第20代当主・佐竹敬治郎(第18代当主・佐竹義尚の次男)から家督を受け継ぎ、第21代当主となった。父方は、和井内家の血筋。佐竹義重-岩城貞隆-佐竹義隆-義処-相馬叙胤-徳胤-恕胤-祥胤-樹胤-根来盛実-(北家)佐竹義尚-敬治郎-女子(和井内貞二郎妻)-敬久
出典:wikipedia
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