長岡高等工業学校 (ながおかこうとうこうぎょうがっこう) は、1923年 (大正12年) に設立された旧制専門学校 (実業専門学校)。略称は 「長岡高工」。1939年5月、長岡市議会は長岡高工の大学昇格建議を可決。6月には新潟県教育会第48回代議員会で、新潟医科大学を母体に工・農・理学部を附設する総合大学 (帝国大学) の設置案が建議された (金沢の帝国大学設置運動が先行しており、それに刺激された)。12月、新潟県議会は総合大学設置意見書を可決したが、日中戦争の戦線拡大・名古屋帝大設置と重なったため、新潟への総合大学設置は実現しなかった。創立時から廃止まで、長岡市四郎丸町 (現・学校町) の校地を使用した。同校地は後身の新制新潟大学工学部に引き継がれ、1980年に現在の新潟市五十嵐地区に移転するまで使用された。また、1953年に教育学部長岡分校が市内東神田町(新潟第一師範女子部跡)から工学部の東側に移転し、1981年まで使用した。現在、旧長岡校地は長岡市民文化公園 (市立体育館・市立中央図書館) となっている。東側の教育学部長岡分校跡は、新潟大学教育学部附属校 (長岡小学校・長岡中学校・幼稚園) が使用している。新潟大学の人物一覧を参照。
出典:wikipedia
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