イタリア政策(イタリアせいさく)とは、神聖ローマ皇帝がイタリアに対して行った政策のこと。歴代の神聖ローマ皇帝は、「ローマ皇帝」「イタリア王」の称号を持っていることを理由に、コムーネと呼ばれる都市国家に分裂しているイタリアにしばしば進駐し、影響力を行使した。これはローマ教皇に対する牽制のための意味があったほか、歴代皇帝の中にはオットー3世やフリードリヒ2世のように本気で「ローマ帝国」の理想を追求した者もいた。これらの政策は諸侯が割拠しているドイツでの皇帝権の強化がなされず、ひいてはドイツの統一国家形成が遅れた原因とされる。15世紀以降、神聖ローマ皇帝を世襲するようになったハプスブルク家は、このイタリア政策を放棄することで帝国支配を強めたが、16世紀のフランス王国とのイタリア戦争に勝利した後、イタリアに深く関わることとなり、イタリア政策は事実的に復活する。この結果、帝国内の帝権強化は失敗、17世紀に起こったドイツ三十年戦争によって国内は分裂を極め、神聖ローマ皇帝による統一国家形成は成らなかった。ドイツ及びイタリアが、イタリア政策から解放され、統一国家を築くのは19世紀半ばのことである。
出典:wikipedia
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