鳳龍院心拳(ほうりゅういんしんけん)は、護身術指導を通じた青少年教育を主眼とする武道の流派。院長は清水伯鳳(しみずはくほう)、宗師は清水あすか(17代目)。鳳龍院心拳は、2009年に道場創設30周年を迎えた。院長 清水伯鳳の家系は遠く中国大陸に源を発し、初代から数えれば540年余りの長きにわたり、要人警護に携わってきた。伯鳳はその17代目の掌派者に当たり、幼時から祖父や父から厳しい訓練を受け、1990年代なかばまで世界の要人の護衛任務に就いてきた。国家元首などを始めとする要人警護の任務とあって、鳳龍院心拳は清水伯鳳の代にいたるまで、一子相伝を堅く守る門外不出の武術だった。しかし、祖先の技を伯鳳の子供たちに伝え、あわせてその精神をもとに次代の青少年育成に貢献することを目的に、1979年、道場創設にいたったのである。これを機に鳳龍院心拳は、要人警護の任務のための「相手を倒す武術」から、青少年育成を主眼とする「人を育て活かす武道」へと、大きくみずからのあり方を変えていった。その後多くの院生が入門し研鑽をつくす中で道場も規模を拡大していったが、今もその指導の中心にある理念は、「人を育て活かす武道」であることに変わりはない。現在も院生の大部分は幼児から高校生までの青少年である事実が、鳳龍院心拳の目指す方向を明確に示しているといえよう。その指導においても単なる武術の鍛錬にとどまることのない、心身共にバランスのとれた人間育成を旨としている。鳳龍院心拳では、さまざまな教えを総称して「教導」と呼んでいる。この教導の基本となるのが、「力技智心(りょく・ぎ・ち・しん)」という言葉である。「力技智心」は、鳳龍院心拳を学ぶ者の基本であり、一つひとつの文字に大切な知識と心構えが込められている。院生は、この言葉をみずからの指針として理解につとめ、稽古の場だけにとどまらず、日々の行動と発言に生かせるよう精進することが望まれる。 また「地空海天」とは大自然の象徴であり、「力技智心」と同義である。地は力、空は技、海は智、天は心にそれぞれ呼応し、これらはまた「鳳、龍、麟、亀」という、心拳の象徴である伝説上の霊獣の名と結びついている。鳳龍院心拳の技は、虎など実在する動物の動きを観察し学んだものも少なくない。鳳龍院心拳は、540年以上も昔の中国大陸にその源を発する武道であり、こうした独特な技の体系には、人間を大自然の一部ととらえ、そこで生かされているすべての命とともに生きるという、先人の奥深い思想が込められているのである。1人の人間はとるに足らぬほど小さく、その力はまことに弱いものに過ぎない。だからこそ大地や空や海、そして天といった大自然の気を受け、その雄大さに学び、大きな力を得ることが必要なのである。「天」が「地、空、海」といった世のすべての上にあるのと同様に、「心」は「力、技、智」の上にあってそれらを自在に支配する。力と技と智恵を自由にあやつる者には、いたずらに恐れる心もない。恐怖心を克服した人間は、「明鏡流水」の境地を得る。「明鏡流水」とは、流れる水の上にも自分の姿を鏡のごとく映せるという意味であり、平静な心を得た人間は、時代や社会がいくら変化し揺れ動いても自分を失うことなく、的確に対応できるのである。以上が「力、技、智、心」の大意であるが、これらは各々が独立してあるものではない。むしろ互いが密接な関係とバランスを保ち、そのつながりの全体で鳳龍院心拳の教えを表現しているのである。その教えは、教導の終わりの三行に簡潔に記されている。どんなに力の強い相手でも、磨き抜いた技があれば倒すことができる。いかに巧みな技も、優れた智恵があれば破ることはできる。だが静かな心を持つ人には、何者も打ち勝つことができない。おごらず、高ぶらず、常に静かで優しい心を持った人には、誰も恨みを抱いたり、闘いをしかけるはずがないからである。護身術の基本は、相手を力で打ち倒すことではなく、まず己の弱さを知り、無為の争いや闘いを避ける心にある。その心なくしては、いかなる力も技も智恵も蛮勇の道具にすぎず、やがてはわが身をも滅ぼす種となる。静かで明るい心をもって力を養い、技を磨き、智恵を蓄え、それらを人のために活かすことで、みずからも人の間で活かされていくこと。これが鳳龍院心拳のもっとも大切な教えである。一、人の話を聞くときには、姿勢を正し、相手の目を見て、よく聞くこと。そして、理解したら、それを言葉にしてはっきりと答えること。二、いじわるやわがままを言わないこと、しないこと。三、気がついたことは、自分からすすんで努力し、行動すること。鳳龍院心拳では、院生の大半を中学生以下の子供たちが占めている。ここにも、心拳が「教育」をもっとも重要なテーマの一つと考える理由がある。彼らに対しては、護身術の技の習得や体力の向上にもまして、礼儀作法の指導を重んじている。たとえどんなに力が強くても、形が上手にできても、あいさつができない者は一人前と見なされない。「武道は礼に始まり礼に終わる」といわれる。礼儀作法などというと、何か古くさいと思われがちだが、その本質は人と人とのコミュニケーション、すなわち意志の通じ合いである。礼を送るとは、相手に敵意のないこと、そして好意や尊敬の気持ちを表すことに他ならない。現代は、地域社会や職場、そして学校でも孤立する人が増えている。また社会の多様化はさまざまな価値観を生み、人々はお互いの考えや気持ちを理解することが難しくなっている。世の中で起きている無用の争いの多くは、ほんの小さな行き違いや誤解から生じているものだ。そういう時代にあって、あいさつは人との健全なコミュニケーションを築き、いわれのない敵意や危険から身を守るための第一歩なのである。鳳龍院心拳ではこうした考えにもとづき、基本的な礼儀や他人への心配りの教えを、子供にも理解しやすく平明な言葉づかいでまとめ、冒頭の「鳳龍院心拳 道場訓三箇条」としている。また「三箇条」には、心拳の行動理念である「目配り・気配り・心配り」の精神が込められている。「目配り・気配り・心配り」は、一般部など大人の院生に対し説かれているもので、この言葉と「三箇条」とは、いずれも他者への礼や思いやりを説き、利己的なふるまいを戒める点でその精神を一にしている。護身術でもっとも大切なことは、力で勝つことではなく、無益な闘いを招かない心づかいにある。子供たちが「三箇条」の言葉を心に刻み、優しさと思いやりの力で次代を担う人間に成長することは、鳳龍院心拳のもっとも大きな指導目標である。
出典:wikipedia
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