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中村氏 (下野国)

中村氏(なかむらし・なかむらうじ)は、藤原北家山蔭流藤原実宗が常陸介に任じられ下野国芳賀郡中村荘に住し、中村氏を称した事に始まり、伊達氏の祖とされる一族。常陸国伊佐郡の伊佐氏とは同族。中村氏のは中興の祖とされる中村常陸入道念西が奥州伊達に赴く際、源義経の遺児・経若とされる朝定に中村氏を継がせたとの記録が残っている。中村氏の居城であった中村城の跡には伊達騒動を題材にしたNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」のモデルになった古木が存在する。天永2年(1111年)、藤原北家山蔭流、参議・藤原安親の孫で、従四位下・越前守、藤原為盛の子藤原定任の長男藤原実宗が常陸介に任じられ、下野国芳賀郡中村荘に住し、中村氏を称した事に始まり、平安時代末期に中村朝宗が中村城を築く。文治5年(1189年)中村常陸入道念西が、源頼朝に従い奥州合戦に従軍し石那坂の戦いで戦功を得る。これにより伊達郡と信夫郡を賜わり、同地に住し伊達氏を称した。中村城は中村常陸入道念西三男中村資綱が跡を継ぎ、次に朝定が継いだ。中村朝定、幼名経若。出自については栃木県真岡市の遍照寺古寺誌に中村朝定は源義経の遺児経若であるとの伝承がある。古寺誌によると源義経の遺児経若が伊佐為宗によって養育され成人後、中村蔵人義宗と名乗り後に改め、中村佐衛門慰朝定と名乗る。年代から見て中村常陸入道念西三男資綱の跡を継いだと見られる。中村城跡にこの源義経の遺児中村朝定を祀る社が存在する。真岡市教育委員会発行の「真岡市史案内・中村城」によると中村大明神の由緒については「中村左衛尉朝定死后、中村大明神と崇り祀り、歳々十一月十五日土人之ヲ祭ルナリ」とあり中村常陸介宗村次男を祀る社であるとされている。尚、この中村大明神は中村城落城の後、最後の城主となった中村小太郎時長を祀る小太郎明神としてその後伝わり、現在は中村城跡に建立されていた場所から大正2年5月に遍照寺の境内に中村城を建てたとされる伊達氏初代の中村朝宗を祭神とし歴代の中村氏の人々を祀る社として移築された。建武2年(1335年)7月の中先代の乱において、中村朝定より六代孫の中村太郎経長は足利尊氏に味方して本領を回復した。南北朝の対立になると経長は南朝方に属し、伊達行朝等と共に北畠顕家に従って戦ったが、興国4年(1343年)11月常陸国伊佐郡の伊佐城で高師冬に破れた。このため、経長は中村城に逃れ、宇都宮公綱を頼り、以降は宇都宮氏に属した。天文13年(1544年)10月7日、中村城は水谷蟠龍斎正村に攻められ、城主中村日向玄角は討死し、子の小太郎時長は米沢城主の伊達氏を頼り、以降は伊達家臣となって中村日向と号し、奥州岩ケ淵の館に住んだとされる。また宇都宮氏の家臣として宇都宮に移り住んだ一族は宇都宮氏支城戸祭中城に属した。1597年、宇都宮国綱は朝鮮出兵にも参陣し帰還後は豊臣姓を賜り従五位下に任じられたが、突然改易され備前国配流となり、戸祭中城も廃城になった。宇都宮氏家臣より現在に至った宇都宮氏家臣中村氏には中村林平(政治家)、中村充(東京大学農学博士、福井県立大学名誉教授)がいる。また、伊達氏家臣となって中村日向家の中村氏には東京大学卒業後海軍造船大佐でドイツ留学、日本で初めて潜水艦を作った中村小四郎。岩ヶ崎町の初代町長、中村宗三郎、第4代町長、中村小治郎がいる。中村城跡には、伊達騒動を題材にしたNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」のモデルになった古木がある。この古木は現在遍照寺の境内にあるカヤの古木で、昭和29年に栃木県指定天然記念物となった。文治5年(1189年)、奥州伊達氏の祖中村朝宗が、源頼朝から奥州合戦における石那坂の戦いの恩賞として与えられた伊達郡・信夫郡に赴く際に植樹したとする謂れがある。真岡市中地区の古寺社にはいくつかの中世古記類が伝存しているが、それらの多くは中村荘の領主を中村城館跡の主である中村氏とし、伊達氏の先祖とすることで共通した性格を持つ。真岡市在住の研究者である中里魚彦はこうした古記類などを検討し、伊達氏が常陸国伊佐荘(伊佐郡)中館から興ったというこれまでの見解については問題はないが、伊佐氏の祖が中村荘に居して中村氏を称し平安末期から鎌倉初期に伊佐郡に移ったのではないかという新たな見解を示した。延宝5年に行われた陸奥仙台藩による伊達氏旧跡調査に接した窪田権九郎所々廻見覚書によるところの中村地域の主体的な行動により形成されたものであろうとし『真岡市史』などのはこの書を元に、中村氏の伊佐郡移住説について中村氏の存在そのものや伊達氏発祥地伝承自体についても討すべき余地が多いとしていたが、近年の研究ではこの仙台藩による伊達氏旧跡調査のさいに伊達宗村が中村八幡宮に奉納した遺品が下野の中村で見つかり、朝宗を伊達家始祖とする伊達家としては尊卑文脈にない伊達宗村が始祖となるようなことのないよう所々廻見覚書に記したとされる。なおこの伊達宗村遺品の軍配団扇は現在仙台博物館の所蔵とされている。またこの伊達氏旧跡調査が行われ発見された伊達宗村遺品を回収すべく延宝6年、伊達綱村が伊達家の宝刀備前義光(栃木県文化財指定)を中村八幡宮に奉納し交渉の末、伊達宗村遺品奥州凱旋後軍配団扇(仙台博物館所蔵)を仙台藩の元に回収したとされる。この綱村が奉納した宝刀の箱書きには「大織冠十八代之苗裔我が伊達家氏之始祖常陸介宗村會て指揮団扇一握を当宮に奉納す」と記載されておりこの地を発祥の地とし宗村を始祖と当時の藩主・綱村が認めていたとされている。      藤原山蔭

出典:wikipedia

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