LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

ダンス☆マン

ダンス☆マン(だんすまん)は、日本のミュージシャン。「ミラーボール星」からやって来たという自称"宇宙人"。アフロヘアーとサングラスがトレードマーク。主に1970~80年代のダンス・クラシックスに空耳アワーのごとく日本語詞をつけ、カバーしたアルバムをエイベックスより多数発表した。自身の活動の他にはアレンジャーとしても活動し、他のアーティストへの楽曲提供も行っている。ミュージシャンでありダンサーではない。デビュー10周年を迎えた2008年3月に、カバー曲なしの全曲オリジナルのアルバムを、新会社イン・ダ・グルーヴ(in da groove)の同名新レーベルから発売している。本名はテリー・D(ダンス☆マン)・ファンク。地球での仮の姿として藤沢秀樹(ふじさわ ひでき)を名のることもある。出身地は東京都調布市。現在は東京都世田谷区在住。専属バックバンドの名前は「ザ・バンドマン」。2007年には本人を題材としたパチスロも発売されている。獨協大学経済学部中退。もともとは獨協大学の音楽サークルで結成されたバンド「ジャドーズ」でボーカルとベースを担当していた。ジャドーズは角松敏生のプロデュースを受けて1986年にデビューする(デビュー前、ジャドーズのドラマーだった島村幸男が、フュージョンバンドカシオペアの専属ローディーをやっていたことで、藤沢も度々ローディーを行っていた。それが縁で、1999年12月のカシオペアのライブに客演し、スキャット・パートがある代表曲「dazzling」を歌った)。その後ジャドーズとしての活動はほぼ休止している。1997年に「ダンス☆マン」として六本木ヴェルファーレでライブを開催し、1998年にカール・カールトンの「She's A Bad Mama Jama」をカヴァーした「背の高いやつはジャマ」でCDデビューする。1999年にモーニング娘。の大ヒット曲「LOVEマシーン」の編曲を手がけたことでアレンジャーとして注目を浴びる。以降、多くのアーティストへの楽曲提供も行っている。2000年にモーニング娘。の「恋のダンスサイト」と郷ひろみの「なかったコトにして」で第42回日本レコード大賞編曲賞を受賞し、郷ひろみの応援ゲストとして第51回NHK紅白歌合戦に出場した。アニメ版『ケロロ軍曹』の初期にはエンディングに「アフロ軍曹」を歌う。アニメ内にも本人役で登場。「ダソヌ☆マソ」と言う偽者とその妹の「ダソヌ☆マリ」がいる。コナミデジタルエンタテインメントの音楽ゲーム「beatmania IIDX 12 HAPPY SKY」では楽曲提供(「We are Disっ娘よっつ打ち命(『DANCE☆MAN feat. Disっ娘』名義)」「オレはビートマニア!お前は何マニア」)を行っている。本人単独名義の曲では彼自身が後者のムービーに出演している。ちなみに両曲とも同ゲーム用に書き下ろされたものである。2000年にセガより本人の楽曲をフィーチャーしたメダルゲーム、「ダンシングフィーバー」が発売された。なお、翌年には楽曲を増やしバージョンアップした「ダンシングフィーバー ゴールド」も発売された。2008年、「ダンス☆マン」としての活動10周年を契機に、カバー曲を封印した全曲オリジナルアルバム『FUNK LOVE』を発表した。ほぼ全ての演奏を本人が行なっており、ザ・バンド・マンからはジャンプ・マンとDJイチロー(ピストン西沢)が参加しているのみである。11月12日には、ナンテンマン名義(公表ではナンテンマンの正体は謎とされている)でピストン西沢プロデュースの『南天のど飴の歌』をエイベックスより発売した。2009年、『ケロロ軍曹』でこれまでに歌った曲を1枚にまとめたアルバムを発表した。9月のライブで、ドリー・D(ダイヤ☆モンド)・ファンク・ジュニアという兄がいることが発覚。2人で兄弟デュオTHE☆FUNKS(ザファンクス)を結成した。2010年7月21日、2009年9月にアレンジャー活動10周年を迎えた記念アルバムとして、ダンス☆マンがアレンジ/リミックスした楽曲のオリジナル音源が、レコード会社の垣根を越え多数収録された『ディスコ戦隊 アフレンジャー』(※アフレンジャー=アフロのアレンジャー)を発売。(カッコ内は原曲)演奏も全て「ザ・バンドマン」が務めている。初ライブ以来、ダンス☆マンのバックバンドを務めている。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。