ジョン・フランコ(John Anthony Franco , 1960年9月17日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブルックリン出身の元プロ野球選手(投手)。かつてドジャースが本拠地を置いたブルックリンの出身で、セント・ジョーンズ大学を卒業後、のMLBドラフト5巡目でロサンゼルス・ドジャースに指名され契約する。5月9日にシンシナティ・レッズに移籍。4月24日にメジャー初登板を果たす。同年は主にセットアッパーとして54試合に登板。には67試合で12セーブ。にはクローザーとして起用され、29セーブを挙げる。秋には日米野球で来日し、NHKのスポーツ番組に出演した際には決め球のスクリューボールの握りと投げ方を解説していた。には39セーブを挙げ、最多セーブのタイトルを獲得。この間、チームは1985年から1988年まで4年連続2位だったが、その好成績に大きく貢献した。オフに、ドン・ブラウンとともにランディ・マイヤーズ、キップ・グロス(のち日本ハム入り)との交換トレードで、生まれ故郷のニューヨーク・メッツに移籍。には33セーブを挙げて二度目の最多セーブを獲得。その後も安定した活躍を続ける。に抑えをアーマンド・ベニテスと配置転換され、セットアッパーとなる。にはヤンキースとのワールドシリーズにも登板。にはメッツのチームキャプテンに任命される(まで務める)。は故障のため全休した。に43歳で復帰し、同年は38試合に登板して0勝3敗も、防御率は2.62で、2年ぶりにセーブも挙げた。限りでメッツとの契約を解除された。にはヒューストン・アストロズと契約する。その時点で現役最高齢投手となる。7月2日に解雇された。メジャー通算424セーブは、終了時点でメジャーリーグ歴代4位である。通算登板1119はジェシー・オロスコ(1251試合)、マイク・スタントン(2007年までに1178試合)に次いで第3位だが、フランコは先発登板がなく、「1試合も先発登板のない投手」に限れば歴代1位である(オロスコは4試合、スタントンは1試合に先発登板がある)。交代完了774はメジャー歴代2位。キャリアが一貫してナ・リーグであったため、通算1119試合登板はナ・リーグ記録である。メッツで記録した登板695、セーブ276、交代完了484はいずれもメッツのチーム歴代記録。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。