名瀬市(なぜし)は、鹿児島県南部、奄美群島最大の島である奄美大島に所在した市。県内離島自治体中最大の人口規模を有し、名瀬合同庁舎や大島支庁などの行政機関、文化施設や商業施設、物流等が集中する、奄美地方の中核都市であったが、2006年3月20日、住用村・笠利町と合併し、奄美市となった。「名瀬」という地名の由来は諸説あるものの、魚を指す「な」と「瀬」からとする説が有力である。「なぜ」が正しい読みであるが、地元では「なせ」と発音される場合も多い。2006年の市町村合併によって、旧名瀬市内の全域が奄美市の地域自治区である「名瀬」となり、住所表記は「名瀬市○○」から町名に地域自治区名を冠した「奄美市名瀬○○」という表記に変更されている。但し、地域自治区の設置期限は2016年(平成28年)3月31日までとなっており、それ以降の住所表記は地域自治区名を除いた「奄美市○○」となる予定である。奄美大島の中部に位置し、東は大島郡龍郷町、西は大島郡大和村、住用村に接し、北は東シナ海、南は太平洋に面する。中央部は山林・原野で覆われた高原となっている。鹿児島港から西南海上383キロ。市街地の密集度は鹿児島市に次いで高く、地価公示価格(商業地・住宅地)も鹿児島市に次いで高かった。本土並みの商業・公共施設が揃い、アーケード街等も充実している。経済圏は奄美群島全域に及び、人口等を除けば、実質、鹿児島第二の都市とも云えた。657年(斉明天皇3年)『日本書紀』の条に「海見(あまみ)島」と見えるのが初見。古代には遣唐使南路の中継地として古代国家と接触があったが、郡郷は設置されなかった。やがて忘れられ、中世には按司(あじ)が発生、15世紀に琉球王国の支配下に入る。1609年薩摩藩の琉球征服により、1611年薩摩藩の直轄地となった。市外局番 : 0997
出典:wikipedia
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