名古屋師管区(なごやしかんく)とは、第3師団が管轄する区域のこと。愛知県・岐阜県・静岡県を管轄区域とし、名古屋連隊区・岐阜連隊区・静岡連隊区を管掌した。太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)には師団長の管掌していたこの地域の兵事事務を引き継ぎ名古屋師管区司令部が設けられ、金沢師管区と共に東海軍管区を構成した。大日本帝国陸軍創設当初、中部地方は名古屋鎮台の管轄区域である第三軍管区に属し、名古屋鎮台が第3師団に改編され初めて師管区が設定された後も引き続き第三師管区に属していた。その後、明治31年(1898年)金沢に第9師団が置かれ北陸地方は第九師管区として分離、明治38年(1905年)高田に置かれた第13師団と豊橋に置かれた第15師団は大正14年(1925年)に廃止されるなどし、師団の管轄区域は分割統廃合されるなどその都度変更され、第3師団管轄の第三師管区は愛知・岐阜・静岡の三県となった。そして、昭和15年(1940年)8月1日から師管区の呼び方が、それまでの師団の名称でなく地名を用いるようになり、名古屋師管区と呼ばれるようになった。常設師団の師団長は、天皇に直隷し、徴兵事務を担当する連隊区司令部を管掌し、補充業務などの管轄区域内の軍政についても責任を有していた。しかし師団長は有事の際には外地に出征して部隊の指揮を取ることが多くなり、内地に於ける補充業務などの軍政については留守部隊が担当した。このため留守師団が置かれ、師団長とは別に留守師団長が補されるようになり、常設師団の留守師団司令部が管轄区域を補充地とする特設師団の補充も担当した。第二次世界大戦の末期には本土決戦が必至の状況となり、大本営は帝国陸海軍作戦計画大綱を決定、本土に於ける軍の編制を根本的に改め、作戦と軍政の分離が推し進められることとなった。その中でそれまで常設師団が管掌していた補充業務などの軍政を切り離し師管区司令部の管掌事項とし、昭和20年(1945年)4月1日名古屋師管区司令部が設けられ金沢師管区司令部と共に第13方面軍司令部(司令官岡田資中将)が兼ねた東海軍管区司令部に隷属した。
出典:wikipedia
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