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黒部川

黒部川(くろべがわ)は、富山県東部を流れる一級河川。黒部川水系の本川である。富山県と長野県の境、北アルプスの鷲羽岳(わしばだけ)に源を発し、おおむね北へと流れる。川全体の8割は深い山地を穿ちながら流れ、黒部峡谷と呼ばれる。黒部市宇奈月町愛本橋付近で山地を抜け、広さ1.2万haの黒部川扇状地を流れる。この扇状地は黒部市、入善町にかけて広がり、その地形は海中にまで広がっている。黒部川の豊富な水量でこの扇状地は湧き水が多く、黒部川扇状地湧水群として名水百選のひとつにも選ばれている。本流は河口付近では黒部市と入善町の境界となり、日本海へと注ぐ。富山県の七大河川(黒部川、片貝川、早月川、常願寺川、神通川、庄川、小矢部川)の一。河口周辺は富山県指定の「黒部川河口鳥獣保護区」として鳥獣保護区に指定されている。連携排砂後、水質汚濁があったが国土交通省による2006年の水質調査結果により8年ぶりに水質日本一に返り咲いた。江戸時代この地を領した前田氏は、防衛と技術上の問題から越中東部の常願寺川、早月川、片貝川、黒部川に橋を架けなかったが、黒部川に橋がないことはあまりにも不便なため、寛永3年(1626年)に北陸街道を大きく上流に迂回した愛本の地に初めて橋を架けた。しかし氾濫の度に流失を繰り返したために、前田綱紀は寛文2年(1662年)に橋脚がない全長63mもの刎橋を作らせた。この愛本刎橋は日本三奇橋の一つに数えられたという。この当たりは古くはアイヌ民族の祖先の一部が住んでおり、「クルペッ」(意味:魔の川)というアイヌ語の言葉が変化したものという説がある。黒部川は水量が多く高低差もあるため、水力発電に有利な条件を備えており、大正時代には日本電力(現在の関西電力)による水力電源開発が始められた。特に上流部では急峻な山岳地帯を舞台にして、壮絶とも言える工事が行なわれている。なかでも黒部ダムや黒部川第四発電所、関電トンネルといった通称「くろよん」と呼ばれる電源開発事業は最も有名であるが、その他にも戦前期の黒部川第三発電所の建設工事では「くろよん」を上回る犠牲者を出しているなど、黒部川の電源開発は多くの人命を失い、多大な労力を払いながらの事業となった。一方、下流の扇状地でも、大正時代より灌漑用水などを活用した発電所建設が進み、全国でも珍しい低落差発電が行なわれている。黒部川上流部は土砂崩壊の激しい地域であるため、土砂が予想を上回る勢いで各ダムに堆積している。そこで出し平ダムでは排砂ゲートが設けられ、1991年(平成3年)12月に初めての排砂が行われたが、これによって出し平ダムからヘドロが流されて漁業被害が起きたとされ、公害訴訟が起きている。これは出し平ダムで貯水開始から6年以上経過してダム湖に蓄積し変質したものを、薄める水が少ない冬にまとめて流したのが問題ではないかと考えられている。これをふまえて下流域への影響を少なくする方法が検討され、また1995年(平成7年)7月11日に発生した豪雨で非常に大量の土砂が流出したため、3年間に3回、増水時に排砂放流を行った。増水時に排砂することで、下流への影響がダムの存在しない自然の状態に近くなるという行政による観測結果が得られた。その後、下流に宇奈月ダムが完成し、2001年度(平成13年度)から連携排砂を行うこととなった。これは梅雨や台風で基準以上の増水が起きたとき、出し平ダムで排砂放流を行い、宇奈月ダムではまず洪水調節を行う。そして洪水のピークが過ぎるのを確認しながら宇奈月ダムも排砂を行うという方法である。関電と行政は「これまでの観測結果からダム湖に土砂が流れ込む量の90%以上は増水時であることが確認されており、黒部川が増水する度に(その年の最初の増水に合わせて)連携排砂、以後は増水に合わせて連携通砂を行い、ダム湖に土砂を蓄積せずに流すように運用している。ダムが無い自然の状態の土砂移動により近付けるように自然との共存を目指して運用改善の努力がなされている」と主張している。北陸電力の発電所はすべて愛本発電所の下流にある。立山連峰と後立山連峰の風景

出典:wikipedia

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