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007は二度死ぬ

『007は二度死ぬ』(ゼロゼロセブンはにどしぬ、"You Only Live Twice")は、イアン・フレミングの長編小説『007』シリーズ第11作。また、1967年公開の『007』シリーズ映画第5作。ユナイテッド・アーティスツ提供。イアン・フレミングの小説『007』シリーズ長編第11作(単行本としては12冊め)。1964年にジョナサン・ケープより出版された。原題はフレミングが来日した際に「松尾芭蕉の俳句にならって」詠んでみたという英文俳句「人は二度しか生きることがない、この世に生を受けた時、そして死に臨む時」に由来する。また英語の慣用句「You Only Live Once(人生は一度っきり)」のもじりである。作中ではタイガー田中に勧められてボンドがこの句を読み、「字余りだがよくできている。今の君の心境かね?」と評されて「たぶんね」と不愛想に応えている。日本でも同年に『007号は二度死ぬ』のタイトルで早川書房から井上一夫訳によりハヤカワ・ポケット・ミステリで発売された。イアン・フレミングの生前に出版されたものとしては、最後の作品である(フレミングは次作であり遺作となった小説「黄金の銃をもつ男」の校正中に心臓麻痺で死亡した)。007研究家として名高いジョン・ピアースンによれば、作中でボンドは日本人の海女キッシー鈴木との間に子供を授かっており、ピアースンはその名を鈴木ボンドと仮想した。フレミングの死後に訳者の井上一夫がこの鈴木ボンドを主人公とし、香港を舞台に活躍するパスティーシュ作品(本人によると『贋作』)を書いた。しかしフレミングの遺族から「パスティーシュを差しとめる法律は今のところ見当たらないが、当方も同じ企画を考えているのでやめてほしい」との連絡を受け、中断した。このときの遺族側の『企画』とは、キングスリイ・エイミスがロバート・マーカムの名で書いた『007/孫大佐』のことだろうと井上は推測している。また、松岡圭祐によるミステリー小説『万能鑑定士Qの推理劇』第2巻で、この原作におけるボンドの息子の存在について触れている。同作はフレミングの幻の遺作『See London and die』が発見され、ボンドが息子に会うため来日する内容だったとするフィクションである。また小林信彦の怪人オヨヨシリーズの1本、大統領の密使には、鈴木ボンドが登場する。結婚式の直後にブロフェルドによって妻テレサを殺されたジェイムズ・ボンドは、ショックのため任務を立て続けに失敗した。上司Mは不可能に近い任務を与えて彼を立ち直らせるため、00課から外交官課に異動させて7777号とし、日本へ派遣した。ボンドに与えられた任務は、日本で開発された暗号解読器を、公安調査庁長官のタイガー田中から入手することだった。田中は交換条件として、ボンドに「死の蒐集家」の暗殺を依頼してきた。スイスから来たガントラム・シャターハント博士は、福岡に近い辺鄙な海岸の古城に庭園を作り、有毒植物を植え、蛇やサソリ・毒蜘蛛・ピラニアなどを放し飼いにしたため、全国から自殺志願者が殺到し、犠牲者が500人以上に上っていた。また、元黒龍会の会員を警備員に雇ってもいたが、違法行為は行っていないため警察当局は手出しできなかった。そこで、田中は部下を潜入させたが、その男も犠牲となってしまい、首相の許可を得てボンドに任せてみることにしたのだ。だが、博士の写真を見たボンドは、その正体がブロフェルドであることを知った。ボンドは日本人炭鉱夫、「轟太郎」と称し、土地の海女キッシー鈴木の助けを得て、忍者の装備を用いて城内に侵入した。ボンドは妻の仇を討つため、日本の甲冑をつけ刀を振るうブロフェルドと最後の対決をし、ブロフェルド殺害に成功する。ブロフェルドとの格闘で日本刀で受けた頭部への打撃と事件のショックにより、ボンドは記憶を喪失。記憶喪失のままキッシー鈴木とともに日本で生活を送る。日本での名前は「太郎さん」で、自分の本名がジェイムズ・ボンドであるという記憶は無い。地元の神主からのお告げによりボンドが生涯のパートナーであると信じたキッシー鈴木は、ボンドに媚薬などを与え、ボンドとの間に子供を授かる。だがある日新聞にあった地名「ウラジオストック」に失われた過去の記憶との関連を感じたボンドは、ロシアに渡る決心をする。キッシー鈴木はお腹にボンドの子供を宿しながらもボンドの意思に従い、決別することを許容する(今のボンドにとってキッシー鈴木の愛と日本での生活など(「ウラジオストック」に較べて)「(タイガー田中の言葉を借りれば)雀の涙のようなもの(little account, 取るに足りない)」としている)。ロシアに渡ったボンドはロシアの諜報機関KGBにより洗脳され、M暗殺の刺客としてロンドンに送り込まれるが暗殺に失敗する。Mはボンドを再洗脳し、黄金銃の殺し屋スカラマンガ殺しを命ずる(小説『黄金の銃をもつ男』)。アルバート・ブロッコリとハリー・サルツマンの共同製作、ルイス・ギルバートの監督で、1967年に製作された。脚本はイギリス人作家のロアルド・ダール。ストーリーが原作と懸け離れているのは本作に限った話ではないが、本作においては007が冒頭で(偽装ではあるが)死んでおり、「007は二度死ぬ」(You Only Live Twice - 人生は二度しかない)のタイトルが、文字通りの意味となっている。本作は、オープニングのイギリスの植民地の香港のシーンと、米ソの軍関係者が非難の応酬をするレーダー基地のシーン(イギリス国内で撮影)を除き、舞台はすべて日本国内である。そのため当時としては大がかりなロケ撮影が日本各地の観光名所で行われた。フレミングの原作のあらすじを完全無視した初の作品ということもあり、コネリー主演のボンド映画では初めて低評価となるが大ヒットを記録、当時日本でも高まっていたボンド人気はさらに高まった。1964年東京オリンピック開催直後の高度経済成長期の東京を中心にロケが行われたため、地下鉄丸ノ内線やホテルニューオータニ、旧蔵前国技館、東京タワー、銀座4丁目交差点、駒沢通りなどの現在の東京でもおなじみの風景が随所に出てくる。また、特殊部隊の訓練場を姫路城に設定しているほか、鹿児島県坊津の漁村や霧島山新燃岳などでもロケを行い、付近一帯ではボンドのオートジャイロ「リトル・ネリー」とスペクターのヘリコプター部隊の空中戦シーンの一部を空中撮影するなど大規模なロケを行った。丹波哲郎が日本の情報機関のボスとしてほぼ全編にわたって登場するほか、初の日本人ボンドガールとして若林映子と浜美枝が登場し、日本人に化けたボンドが日本の公安エージェントと偽装結婚したり、第50代横綱佐田の山が本人役で登場したり、丹波演じる日本の公安のトップの移動手段が丸ノ内線の専用車両だったり、さらに公安所属の特殊部隊が忍者だったりと、現実性は極めて希薄である。また、それまで顔が映ることのなかったスペクターの首領・ブロフェルドが、本作で初めてその姿を現す。本作は歴代の007作品の中でも関係者の事故が多い作品である。映画の撮影中の1966年3月5日、英国海外航空のボーイング707型機が富士山山麓に墜落、乗員乗客124人全員が死亡したが、その中にはイギリスに帰国するスタッフが含まれていた(詳細は英国海外航空機空中分解事故を参照)。同機には監督のルイス・ギルバート、製作のハリー・サルツマンとアルバート・ブロッコリ、撮影のフレディ・ヤング、プロダクション デザインのケン・アダムも搭乗する予定だった上に、当該機の機長と前夜夕食を共にしていたが、出発の2時間前になってそれまで都合がつかなかった忍法指南による忍者術の記録映画の披露が急遽行われることになり、この5名はフライトをキャンセルしている。数時間後、同機遭難の知らせをうけた一行は青ざめ、「これが二度目の命だ」と胸を撫で下ろしたという。また「リトル・ネリー」とヘリコプター部隊の空中戦の撮影シーンでは、イギリス人カメラマンのジョニー・ジョーダンが片足を切断する大事故に遭うなど、本作は航空事故との因縁が深い作品となった。1967年の映画の世界興行成績で、第2位(1位は『ジャングル・ブック』)。舞台となった日本では、1967年度の外国映画興行成績で第1位(日本映画を含めると『黒部の太陽』に次ぐ第2位)を記録した。アメリカとソ連の宇宙船が謎の飛行物体に捉えられるという事件が起こり、米ソ間が一触即発の状態になるものの、イギリスの情報機関である MI6 はその飛行物体が日本周辺から飛び立っているという情報をつかむ。その情報の真偽を確かめるために、ジェームズ・ボンドがMI6により日本に派遣されることになる。ボンドは敵の目を欺くため、イギリスの植民地の香港の売春宿で、情報部により用意された現地の女性リンの手引きによって寝室になだれ込んだ殺し屋にマシンガンで銃撃され死んだふりをする。その後ビクトリア・ハーバー内に停泊するイギリス海軍の巡洋艦上で水葬され、その遺体を回収したイギリス海軍の潜水艦で隠密裏に日本へ。日本上陸後は、横綱佐田の山の仲介により蔵前国技館で謎の女アキと会い、彼女を通じて日本の公安のトップ・タイガー田中に会うが、在日オーストラリア人の捜査協力者のヘンダーソンは直後に殺されてしまう。その殺し屋は大里化学工業の本社から送られた者だと知ったボンドは、化学薬品を取り扱うビジネスマンを装って大里化学工業の東京本社に赴き、大里社長とその秘書ヘルガ・ブラントと接触する。フランク・シナトラの愛娘、ナンシー・シナトラが歌っている。イギリスでは、カップリング曲だった“ジャクソン”と共に両面ヒットとなり、「ミュージック・ウィーク」誌では、最高位11位、アメリカでは、“ジャクソン”のB面としてリリースされ、「ビルボード」誌で、最高位44位だった。また、同サウンドトラック・アルバムは、「ビルボード」誌アルバム・チャートで、最高位27位を獲得している。公開から約10年後の1970年代にテレビ放映された際、丹波哲郎と浜美枝が自らのセリフの日本語吹き替えを行って話題になった。若林映子は当時、手の怪我のために吹き替えの収録に参加できなかった。なお、『月曜ロードショー』版のガンバレル〜タイトルバックまではオリジナルとは前後異なる編集をされていた。これは本家イギリスでのテレビ放送でも同様の編集をされていた。一説には1970年代に日本でリバイバル上映された際、同様の編集をされていたという噂があり、その編集の真意は現在も不明である。メインキャスト以外の日本語はすべて当時録音されたものをそのまま使用しているため、場面によっては会話が成立していないように感じる部分もあるが、これは現在も改善されていない。本作の初のOA後、同じ4月29日に東映作品「宇宙からのメッセージ」が公開、若山弦蔵はビック・モローの吹き替えで参加、一月を置かず丹波哲郎と声の再共演(どちらも別録り)を果たしている。

出典:wikipedia

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