寧海(ニンハイ、NING HAI)は、中華民国海軍の寧海級巡洋艦の1番艦。後に日本海軍の海防艦五百島(いほしま/いおしま)となった。日本の播磨造船所相生工場で1931年(昭和6年)2月20日起工。1931年10月10日進水。1932年(昭和7年)7月30日竣工。前年9月の満州事変および同年1月の第1次上海事変により関係が悪化した中華民国への引き渡しが危ぶまれたが同年9月1日に中国軍に編入され、第一艦隊を編成した。1934年(昭和9年)6月5日に練習艦隊(司令・王壽廷少将)に編入された。同年の東郷平八郎の国葬の際に日本に派遣されたが、6月5日国葬には間に合わず儀仗隊を下関から列車で東京に向かわせて弔意を示し、本艦の横浜入港は6日となった。日中戦争中の1937年(昭和12年)9月23日、鎮江上流の揚子江沿岸で日本海軍機の攻撃を受けて損傷、擱座したが、その後日本軍により1938年(昭和13年)に浮揚され日本に曳航された。1938年(昭和13年)6月3日に播磨造船所相生工場に到着、7月11日に御蔵と仮称した。太平洋戦争突入後の1944年(昭和19年)同年6月1日、「平海」は海防艦「八十島(やそしま)」と改名。「寧海」は「五百島(いほしま)」と改名。2隻(五百島、八十島)は日本海軍に編入され、海防艦に類別された。「五百島」は呉鎮守府籍。海上護衛任務に従事していたが、9月19日、御前崎南方でアメリカの潜水艦シャード(USS Shad,SS-235)の雷撃により沈没した。9月25日には二等巡洋艦に種別、類別変更の予定であった(八十島《平海》のみ、巡洋艦に類別変更)。同年11月10日、「五百島」は役務を解かれ、水上機母艦「秋津洲」等と共に除籍された。
出典:wikipedia
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