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紋章文字

紋章文字(もんしょうもじ; Emblem Glyph)は、ハインリヒ・ベルリン(Heinrich Berlin)が1958年にマヤの都市遺跡か地名を表す文字として発見した、一連のマヤ文字を指す。下に述べた要素で構成される。ベルリンは、さらに、ある都市の石碑に別の都市の紋章文字が刻まれていることから、両都市間に何らかの関係があったことを示し、マヤの政治地理学的な分析が可能になるかもしれないと述べた。現在では、ベルリンの予想したとおりに研究及び碑文の解読が進み、有力な都市とそうでない都市、支配従属関係など、都市間の階層性まで判明している。紋章文字の発見によって、暦以外の文字があること、碑文が歴史を刻んでいることを示唆する手がかりがあたえられたが、実際のところ紋章文字が地名を表すのか、その都市の守護神を表すのか、都市名なのか、王朝名なのか論争が続いてきた。デイビッド・スチュアートなどの研究者によって、地名を表すものや支配者の称号を表すもの、ティカルとドス・ピラスのように王朝の家系を表すものがあることが判明してきている。ベルリンが指摘したように、紋章文字については、有力でない小規模な都市は独自のものをもたず、石碑には近隣の大規模な都市のものが現れることが知られていた。このことから都市間の支配従属や同盟関係などがわかるのではないかと考えて具体的に理論化しようと試みたのがジョイス・マーカスである。彼女の1976年の論文は、上位の都市と従属する下位の都市が存在し、上位の都市は対等な同盟、対立関係の都市しか示さず、下位の都市は上位の都市について言及するので支配従属関係や都市間の階層性がわかるのではないかと考えたのである。そして最上位の都市が現れているものとして731年に建てられたコパンの石碑Aと849年のセイバル石碑10号が選ばれた。つまり、731年段階では、ティカル、コパン、パレンケ、カラクムルの4つの都市の紋章文字が刻まれ、8世紀前半から中葉のマヤ世界の4つの首府と考えられる。また、セイバル石碑10号では、ティカル、セイバル、カラクムル、モトゥル・デ・サンホセの文字が刻まれていることから9世紀中葉当時での4つの首府とした。第1級にあたる都市は、その地域で最初に紋章文字を持つようになり、コパンを除いて2つ以上の紋章文字を持っている。遺跡の規模も、その地域では最大級で、当然石碑も多く建立されている。第2級の都市は独自の紋章文字はもち、第1級の都市と結婚や同盟でつながっているが、第1級の都市であまり記録に残されることはない。第3級の都市は紋章文字を持たず、第1級の都市と第2級の都市に関する記録が刻まれている。地理的には、第1級の都市と第2級の都市の中間のような位置に立地し、その弱体さゆえ王が捕虜になってしまうことも多い。第4級に属する都市ないし町は、紋章文字を持たないだけでなく、記録されることもない。石碑も少ない。都市遺跡の周辺で発見される小規模な遺跡である。

出典:wikipedia

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