寒川神社(さむかわじんじゃ)は、神奈川県高座郡寒川町宮山にある神社。式内社(名神大社)で、相模国一宮に当たる。また旧社格では国幣中社に列しており、現在は神社本庁の別表神社となっている。神奈川県中央南部、相模川河口から約7km遡った左岸の低台地上に鎮座する。古代には相模湾がここまで入り込んでおり、神社からさらに8キロ上流の海老名市国分付近に相模国分寺があった。朝廷からも名神大社として崇敬された。相模国における延喜式内社十三社の中でも、大社とされたのは当社のみである。現在も八方除の守護神として関東一円から参拝者が集まり、正月の三が日にはのべ40万人が初詣に訪れる。なお、新年の幕開けとなる元日午前0時には大太鼓の合図と共に八方除祭・元旦祈祷祭が行われ、近年では迎春ねぶたの初点灯も実施されている。一方、テレビ放送の関係者には古くから「視聴率祈願の神社」として知られ、新番組開始前に参拝を行うことが多い。高倉健など芸能人の参拝者も多い。この他、宗教法人としての寒川神社は寒川病院を運営している。現在の祭神は以下の2柱で、寒川大明神と総称される。2柱とも記紀には記載がなく、詳細は不明。寒川大明神は八方除の神とされる。なお、八方除では当社の他にも久伊豆神社などが知られる。また、祭神については他にも八幡神、あるいは菊理媛、素盞嗚命、稲田姫尊などの諸説がある。古代、相模川沿いは相模国造がおり、有力な豪族のいずれかが造営したと推定される。雄略天皇の時期に奉幣、神亀4年(727年)に社殿建立の記録があるが、公式には『続日本後紀』にて承和13年(846年)に仁明天皇から従五位下を授る記録がある。『延喜式神名帳』では「相模国高座郡 寒川神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また、鎌倉時代の『吾妻鏡』には「一宮佐河大神」と記載があり、相模国の一宮とされたことがわかる。戦国時代には武田信玄が行軍中に当社を参拝し、自身の纏っていた兜と太刀を安全祈願に奉納した。明治4年(1871年)5月、近代社格制度において国幣中社に列した。寒川神社からは、二至二分に、それぞれ丹沢の大山、富士山、箱根の神山に日が沈む。寒川神社が建立された当時は海水準が高く、寒川神社は直接相模湾に面していたと考えられている。これらの好条件から、八方除けの神社として建立された可能性が高い。本殿及び拝殿の手前には神門がある。参道は当社境内から南に1kmほど進んだJR相模線の踏切近くにある一之鳥居から始まり、参道途中には二之鳥居(大鳥居)、境内入口には最後の鳥居となる三之鳥居がある2001年より新年から2月の節分まで、神門に神話にちなんだ迎春ねぶたが飾られるようになり、夜にはライトアップもされている。2012年まではその年の干支にちなんだねぶたが飾られていたが、干支が一巡した2013年からは神話ねぶたが飾られている。神嶽山神苑(かんたけやましんえん)は、本殿裏手の神苑。「難波の小池(なんばのこいけ)」を中心に、裏山の神嶽山(かんたけやま)を主とする。2009年に開苑した。
出典:wikipedia
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