アンバージャック (USS Amberjack, SS-219) は、アメリカ海軍の潜水艦。ガトー級潜水艦の8番艦。艦名はニューイングランドからブラジル西部大西洋に生息するカンパチなどブリ属の総称に因む。アンバージャックは1941年5月15日にコネチカット州グロトンのエレクトリック・ボート社で起工する。1942年3月6日にランドール・ジェーコブス夫人によって進水し、艦長ジョン・A・ボール・ジュニア少佐(アナポリス1928年組)の指揮下1942年6月19日に就役する。アンバージャックは7月20日からコネチカット州ニューロンドンおよびロードアイランド州ニューポート沖の海域で整調、訓練を行った。その後8月中旬、パナマ運河を経由して太平洋に出航、8月20日にハワイ州真珠湾に到着し訓練を実施した。9月3日、アンバージャックは最初の哨戒でビスマルク諸島およびソロモン諸島方面に向かった。2日後の9月5日にジョンストン島で給油を行った後、ミリ環礁とマキンの間を通って、ニューアイルランド島の北東海岸からブーゲンビル島間での哨区に到着した。9月15日、アンバージャックはニューアイルランド島のカビエンを偵察する。3日後の9月18日にはの地点で駆逐艦が護衛する大船団に遭遇、大型輸送船に対して魚雷を4本を発射して1本の命中と判断される。9月19日、アンバージャックはの地点で特設運送船しろがね丸(日本海運、3,130トン)と駆逐艦を発見し、しろがね丸に向け魚雷を2本発射した。1本がしろがね丸の左舷中部に命中して大破。しろがね丸は駆逐艦天霧に曳航されてショートランド諸島に到着したが、最終的には放棄されて1945年6月30日に除籍された。この戦功によりアンバージャックは殊勲部隊章を受賞した。9月25日夜にも日本艦艇と接触し、駆逐艦に護衛された大型巡洋艦を発見する。しかしながら攻撃開始前に敵駆逐艦に発見されて潜航を強いられ、数発の爆雷が投下されたが、アンバージャックに損傷はなかった。その数日後にはタウ島、、グリニッジ島、オーシャン島への偵察を行う。9月30日、アンバージャックはの地点で「青葉型重巡洋艦」を発見して魚雷を4本発射したが命中せず、「戦艦」に対しても2本発射したが結果は同じであった。一週間後の10月7日、アンバージャックはカビエン港外で特設運送船(給糧)鮮海丸(嶋谷汽船、2,103トン)を発見。これに対し魚雷を2本発射した。1本は外したものの、もう1本が命中。しかし、鮮海丸は沈む気配を見せず相変わらず航行を続けていたので、アンバージャックはこれを追跡した。1時間後、鮮海丸からアンバージャックに向けて発砲があったが、効果は見られなかった。さらに2時間監視を続けた後、止めの魚雷を1本発射し、その魚雷は鮮海丸の左舷に命中して鮮海丸はついに沈没した。沈没地点はだった。アンバージャックは潜望鏡越しに、鮮海丸の救命ボートが浮いているのを発見した。10月10日、なおもカビエン港外で監視を続けていたアンバージャックは、獲物を求めて南方のニッセル水道から港内に侵入。の地点で停泊していた特設運送船第二図南丸(日本水産、19,209トン)と6,000トン輸送船に向けて魚雷を4本発射し、魚雷の命中を受けた第二図南丸は沈没を避けるために座礁。後に浮揚して曳航され、日本に戻っていった。10月16日、アンバージャックはバラストタンクの修理のためにエスピリトゥサント島に向かい、10月19日に到着の後修理を実施した。その後、アンバージャックは特別任務としてガダルカナル島とツラギ島に対する補給を命じられた。これより先の10月13日、戦艦金剛と榛名がガダルカナル島のヘンダーソン飛行場を艦砲射撃し(ヘンダーソン基地艦砲射撃)、航空機の他所在の航空ガソリンも砲撃により炎上。このため、緊急に航空ガソリンを輸送する必要が生じた。1番手として駆逐艦メレディス ("USS Meredith, DD-434") や艦隊曳船 ("USS Vireo, AM-52") などからなる小船団がガダルカナル島に向かったが、船団は途中で瑞鶴機に発見され、メレディスは沈没し、ヴィレオ以下生き残った船団は退却して輸送は失敗した。次に輸送艦として選ばれたのがアンバージャックであった。アンバージャックは9,000ガロンの航空ガソリン、200個の爆弾、15名の陸軍航空隊搭乗員を搭載し、10月22日にエスピリトゥサントを出撃してガダルカナル島に急行。10月25日朝、アンバージャックは艦隊曳船 ("USS Seminole,AT-65") の誘導を受けてガダルカナル島北岸部のルンガ岬に到着し、緊急物資を揚陸。ヘンダーソン飛行場はこれで当面の活動が出来るようになった。任務完了後、アンバージャックはサボ島の北を回り、ブリスベンに針路を向けた。10月30日、アンバージャックは57日間の行動を終えてブリスベンに帰投。潜水母艦 ("USS Griffin, AS-13") に横付けして改装を実施した。11月21日、アンバージャックは2回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。11月27日、アンバージャックはの地点で2隻の駆逐艦を発見し、艦尾発射管から魚雷を4本発射したが、いずれも命中しなかった。攻撃後深々度潜航で避退し、2時間後に浮上。特に損害が認められなかったので、新しい哨区をショートランド沖に設定し移動した。2日後の11月29日、のトレジャリー諸島沖合いで日本の潜水艦を発見し攻撃をしようとしたが、相手が潜航して退散したので攻撃の機会は得られなかった。ショートランド沖の哨区に到着したアンバージャックは、12月3日にの地点で、ショートランドに出入りしていた潜水艦を発見し魚雷を4本発射したが、これも命中しなかった。12月15日、の地点で輸送船団を発見し、4,000トン輸送船に対して2本、小型輸送船と小型タンカーに向けてそれぞれ魚雷を1本ずつ計4本発射したが、命中しなかった。12月19日朝、アンバージャックはの地点で大型輸送船と駆逐艦を発見して接近を試みるが、約4,000ヤード(約3,700メートル)まで接近したところで3機の水上機を発見し攻撃をあきらめた。翌12月20日、の前日とほぼ同じ海域で哨戒中のアンバージャックは15分間隔で響く爆発音を聴取し、やがて中型輸送船と2隻の駆逐艦の姿を発見する。1隻の駆逐艦が反転してアンバージャックの方に向かってくるのが見えたため、75メートルの深度に避退して爆雷攻撃が収まるのを待った。6発の爆雷を投じられ、船体のバルブが外れる。また、2本の潜望鏡やレーダーを支える台も破損した。アンバージャックは浮上し応急修理を施した後、ニューアイルランド島北東海面に移動して哨戒を続行した。1943年1月1日、アンバージャックはの地点で新しい目標を発見して攻撃しようと接近するが、駆逐艦の存在はアンバージャックの攻撃意図を挫かせた。1月5日、アンバージャックは哨区を離れてブリスベンに帰投することとした。1月11日、アンバージャックは51日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。1月24日、アンバージャックは3回目の哨戒でソロモン諸島方面に向かった。当初は十分な休養を取ってから出撃するはずであったが、ソロモン方面の戦局は予断を許さないものであり、12日間で休養が打ち切られた。ブリスベンを出港したアンバージャックであったが、故障が発生したためブリスベンに引き返し、修理の上2日後の1月26日に再度出撃した。1月29日、テテパレ島付近でショートランド島への航路を通過した後北西方面に移動。2月1日にはブカ島の西方に位置していることを報告した。2月3日の報告では、アンバージャックはトレジャリー諸島の南西海域で日本の潜水艦を発見し、またブカ島の沖合いでスクーナーを発見し浮上砲戦で撃沈したことを伝えた。アンバージャックはベララベラ島、ブカ島とショートランドを結ぶ海域に移動するよう命令を受けた。2月4日、アンバージャックは「5,000トン級輸送船と交戦、5本の魚雷を発射してこれを撃沈したが、アーサー・C・ビーマンが反撃の機銃掃射を食らって戦死し、リチャード・G・スターン中尉が負傷した」と、この哨戒での2度目の報告をした。2月8日、アンバージャックは南緯7度30分付近、の西寄りの位置に移動し、ラバウルとブカ島、ショートランド間の航路を哨戒するよう命令を受けた。アンバージャックからの3度目で結果的に最後となった通信は2月14日に受信された。その内容は「2月13日夜に、敵駆逐艦2隻により潜行を強いられる。同じ日には日本軍パイロット2名を救助、捕虜とした」とあった。その後は引き続き南緯6度30分以北のラバウル航路の偵察を命じられた。予定では、、ニューハノーバー島方面に移動して哨戒を行い、を通過して再びソロモン海に入るというプランであったが、その後アンバージャックからの応答は無く、3月10日の定時報告も行われることはなかった。アンバージャックは1943年3月22日に喪失が推定された。アンバージャックからの最後の通信が発信されて2日後の2月16日、水雷艇鵯と第18号駆潜艇はコロンバンガラ島に兵員と補給物品を輸送する特設運送船能代丸(日本郵船、7,189トン)を護衛しラバウルを出撃した。出港後の15時28分、船団がニューブリテン島の最東端であるセント・ジョージ岬沖を通過中、船団の右側約4,000メートルから魚雷が4本向かってくるのを発見し、ただちに回避運動を実施して難を避けた。この際、上空を哨戒していた第九五八航空隊所属の哨戒機が、敵潜水艦が魚雷を発射した位置を発見したことを受け、15時34分にの海域でこれを攻撃した。また、15時40分には現場に急行してきた鵯が9個の爆雷を、15時46分には第18号駆潜艇が6個の爆雷を投下し、これらの攻撃の結果、多量の重油と外郭部分が海面に浮かんだ。16時前には第18号駆潜艇から再度3個の爆雷が投下された。16時20分、鵯が救命筏と思われる浮遊物を回収している。これらの大筋の内容は、アメリカ側が傍受した日本側の3月25日付の報告書の内容からのものであり、この攻撃によりアンバージャックは沈没したと考えられたと、3月29日作成の文書で記されている。しかし、これと前後してグランパス ("USS Grampus, SS-207") がほぼ同海域で失われており、撃沈されたのがアンバージャックであると断言することは不可能である。普通ならば、数々の証拠から2月16日の攻撃でアンバージャックは沈んだと考えられるが、仮にアンバージャックがこの攻撃を乗り切ったとすれば、グランパスのものとされる攻撃と目撃例のいくつかはアンバージャックによるものであったかもしれない。なお、日本側では「2月24日にこの海域で敵潜水艦を目視した」という報告があるが、これが事実となるとアンバージャックかグランパスのどちらかが、通説の喪失日を越えて健在だった可能性もゼロではない。アンバージャックは第二次世界大戦の戦功で3個の従軍星章を受章した。3隻の船を含む総トン数28,600トンを沈め、14,000トンに損害を与えた。真珠湾潜水艦基地の下士官兵用のレクリエーション・センターは本艦に乗務して2月4日の銃撃戦で戦死したアーサー・C・ビーマンに因んで命名されている。アンバージャックの艦名はテンチ級潜水艦アンバージャック ("USS Amberjack, SS-522") に継承された。
出典:wikipedia
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