田代島(たしろじま)は、宮城県石巻市に属す島。三陸海岸南端を構成する牡鹿半島の先端近くの仙台湾(石巻湾)内にある。島内の農業は衰退したが、現在は漁業や釣り客・観光客を相手とする観光業が主な産業となっている。近年は「ネコの島」やマンガの島として知られる。石巻港から約15km南東に位置し、島の北東部に大泊港(第1種漁港)を擁する大泊、南東部に仁斗田港(第2種漁港)を擁する仁斗田の2つの港および集落があり、両者は島内の道なりに2kmほど離れている。島のほぼ中央に猫神社があり、島の漁師にとって大漁の守護神である「猫神様(美與利大明神)」が祀られている。そのため、猫がとても大事にされ、島内で自然繁殖しており、既に島民よりも個体数が上回っている。他方、島内では犬は猫の天敵とみなされており、犬を島内に持ち込むことは原則禁止されている(身体障害者補助犬あるいは警察犬や災害救助犬の持ち込みについての言及はない)。黒潮の影響により温暖で、降雪はあまり見られない。南国の植物であるタブノキの原生林が島内に数ヶ所見られる。仁斗田と大泊を結ぶ舗装道路の他に島の西部を回る細い舗装道路がある。道路からの眺望は樹木によって遮られ良くないが、歩いて2-3時間で一周することが可能。西側に休憩用の東屋が1つ建てられており、その周辺からは石巻市街までの眺望や、海に沈む夕陽を望めることができる。網地島と隣り合うが、網地島は旧牡鹿町、田代島は合併前の石巻市に属していた。2005年(平成17年)4月1日の市町合併により、両島とも石巻市に属することになった。昭和30年代には約1,000人の島民が居住していた。2005年(平成17年)国勢調査では、平均年齢71歳、高齢化率82%であり、限界集落である。上水道は海底送水、屎尿やゴミは本土へ搬送処理している。島にはガソリンスタンドがないため、油船が2ヶ月に1度寄港し、島にガソリンや灯油を供給している。島民の約8割が第一次産業に従事する。以前は、島の南中央部にある谷筋などで稲作が行われていたが、既に耕作放棄地となっている。現在は漁業が主産業で、大型定置網や刺し網等の沿岸漁業、および浅海養殖業が行われている。釣りスポットとして知られており、民宿の宿泊客のほとんどが釣り客である。東北地方太平洋沖地震に伴う津波によりカキの養殖棚が流出するなどの被害に加え、漁師の高齢化が進んでいるため漁業は停滞している。任意団体の「石巻市田代島獅子舞保存会」があり、伝統の田代島獅子舞を保存している。登米市出身の石ノ森章太郎と縁りが深い石巻市が漫画を用いた地域振興をしていることから、2000年(平成12年)4月にアウトドア施設の「マンガアイランド」が設置された。施設内には、同島で大事にされているネコをデザインしたロッジが5棟ある(里中満智子およびちばてつやのデザインと志賀公江、木村直己および御茶漬海苔が内装ペイント)。近年、「ネコの島」として注目されていることから、「石巻市愛ランドプラン」では、瀬戸内海の犬島と連携・協働の取り組みを進める構想も示された。一方で野良猫の多さに不快感を示す島民や猫目当ての観光客が騒々しいという意見もあるが、石巻と島を結ぶ定期船は多数の観光客により維持されているとして感謝の声も聞かれる。2004年(平成16年)9月、釣りが趣味の東京都出身と岩手県出身の夫婦が、脱サラして仙台市から島に移住し、民宿を始めた。2006年(平成18年)2月14日にはブログを開始。当初は島の暮らしや釣りおよび民宿の情報を載せていたが、同年5月20日にテレビ朝日系列「人生の楽園」でネコが多い島としても紹介され、同年7月22日にフジテレビ系列『めざましどようび』の番組DVD『にゃんこ THE MOVIE』が発売されると、同DVDに収録された田代島の「たれ耳ジャック」という名のネコのエピソードが影響して愛猫家のアクセスが増加し、田代島を「ネコの島」として発信するブログへと次第になっていった。『にゃんこ THE MOVIE』はシリーズ化し、毎回「たれ耳ジャック」のその後のエピソードが収録された。他のマスメディアでも同島は「ネコの島」「猫の楽園」などと紹介され、猫を目当てとした観光客が多数訪れるようになった。2007年(平成19年)8月、仙台・宮城デスティネーションキャンペーン(2008年10月1日 - 12月31日)についての県と住民の会議があった。このとき、プレDC(2007年10月1日-12日31日)期間中に実施するモニターツアーの企画が話し合われ、同年11月3日に同島初のネコ観察を目玉とするパッケージツアー「ジャックを探せ」ツアーが催行された。同時に島内のネコの写真展も開催された。仙台・宮城DCが始まった2008年(平成20年)10月1日から1年間における石巻~田代島の離島航路の利用客数は約1万3700人と、リーマン・ショック後の世界同時不況の最中にありながら44%の大幅増となった。2009年(平成21年)になると、国内のみならず台湾や香港のテレビ局が取材で来島し、外国人観光客も見られるようになった。2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)によって、田代島は地盤が約130cm沈下し、沿岸部の家屋や漁業施設が大きな被害を受けた。島のネコは飼い猫と野良猫の中間のいわゆる地域猫であるため、港や漁船の被害により住民や漁師から餌を得る機会が減ったのではないかと心配する全国の愛猫家から支援物資としてキャットフードが送られた。また、田代島の復興事業の一つとして、島の猫を活用した「田代島にゃんこ・ザ・プロジェクト」が同年6月から行われている。日本全国の愛猫家から1口1万円の寄金を募ってカキ養殖再生のための資金とし、謝礼としてオリジナル猫グッズなどを発送するというものである。震災後は欧米メディアで取り上げられる機会も度々あり、宮城県内では温泉や松島といった定番観光地ではないが、外国人観光客も訪れる場所として、宮城蔵王キツネ村と並んで知られる。田代島ではかつて養蚕が行われていたため、カイコの天敵であるネズミを駆除してくれるネコが飼われており、島民から大事にされていた。江戸時代後期に定置網漁の一種である大謀網(だいぼうあみ)が三陸海岸中部(盛岡藩・船越村)で興ると、それが隣接する仙台藩気仙郡(気仙沼)を経由して田代島にも伝わり、改良されて田代型マグロ大網となった。この経緯から、田代島沿岸での大謀網は気仙沼周辺から来る漁師と島民によって営まれ、島内にいくつもの番屋(作業小屋兼簡易宿泊所)が設置された。すると、番屋に寝泊りする気仙沼漁師らの食べ残しを求めてネコが集まるようになり、漁師とネコとの関係が密になって、ネコの動作などから天候や漁模様などを予測する風習が生まれた。ある日、大謀網を設置するための重しの岩を漁師が採取していたところ、崩れた岩がネコに当たり死んでしまった。これに心を痛めた網元がその死んだ猫を葬ったところ、大漁が続き、海難事故もなくなったという。そのため、葬られた猫は猫神様となり、島内で猫が大切にされるようになったという。宮城県内には猫神社が10ヵ所ある。また、猫の石碑が他の都道府県と比べて特に多く、51基存在している。猫の石碑は特に県南部(仙南圏)に集中しており、江戸時代に養蚕が盛んだった地域と重なることから養蚕との直接的な関連が指摘されている。田代島の猫神は、養蚕との関連が間接的なものに留まっているようである。石巻港から網地島ラインに乗って38分(朝・夕方)または53分(昼間)で田代島に着く。距離約17km。通常は1日3往復だが、7月中旬から8月中旬は夏季ダイヤとなり、1日4〜5往復に増便される。便によって、上記航路の石巻 - 網地島間のみ、あるいは、田代島 - 鮎川間のみの運行がある。網地島ラインの石巻港発着場へは、JR石巻駅前からミヤコーバス3番バス停からの石巻市内線に乗って17分、「網地島ライン」バス停で下車。バス便は、通常ダイヤでの田代島からの最終便(上り5便)を除いて全ての便が接続している(平日ダイヤ/土・休日ダイヤ ※実際は全日ともに同一ダイヤ)。ただ、タクシー利用でも所要10分程度であり、1,000円程度で向かうことができる。徒歩だと駅から40分ほどかかるが、石ノ森萬画館や日和山と合わせて観光する場合は途中に組み込める。自家用車の場合は、三陸自動車道・石巻河南ICまたは石巻港ICで降りる。限界集落であるため住民の利用だけでは減便される恐れもあるが、猫目当ての観光客が訪れることで便数が維持されている。
出典:wikipedia
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