青山 幸秀(あおやま よしひで)は、摂津尼崎藩の第4代藩主。後に信濃飯山藩主を経て、丹後宮津藩の初代藩主となる。郡上藩青山家4代。元禄9年(1696年)、摂津尼崎藩の第3代藩主・青山幸督の長男として生まれる。宝永7年(1710年)、父の死去により家督を継ぎ、12月18日に従五位下・大膳亮に叙任される。宝永8年(1711年)2月11日、信濃飯山藩に移封となった。享保2年(1717年)2月11日、丹後宮津藩に移封された。しかし享保9年(1724年)には弟の幸能が自殺するなどの問題から、幕命により出仕を停止させられている。さらに藩政においても、享保の飢饉における飢餓や幸秀自身の過酷な藩政によって領民は苦しめられ、農業が衰退し、代わって丹後の民衆は丹後縮緬を作ることで飢えを凌ぐほどだったという。皮肉にも過酷な藩政で、丹後縮緬は急速に広まることになった。延享元年(1744年)9月8日に死去した。享年49。跡を3男の幸道が継いだ。
出典:wikipedia
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