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ラッセル・マーティン

ラッセル・ネイサン・コルトレーン・ジャンソン・マーティン・ジュニア(Russell Nathan Coltrane Jeanson Martin, Jr., 1983年2月15日 - )は、カナダ・オンタリオ州イーストヨーク出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。現在は、MLBのトロント・ブルージェイズに所属している。オンタリオ州イーストヨークで1983年、アフリカ系カナダ人の父とフランス系カナダ人の母の間に誕生。父はサクソフォーン奏者で、ミドルネームの "コルトレーン" はジョン・コルトレーンに由来する。マーティンがまだ幼少のころに両親が別居状態となり、マーティンは父と暮らすことになる。マーティンは何度も移住を経験、8歳から10歳まではフランスのパリにも住んでいた。両親の離婚が成立した後はケベック州モントリオールに落ち着く。15歳まではアイスホッケーもプレイしていたが、ポリヴァラント・エドゥアール=モンプティ高校入学後は野球で頭角を現し始め、アメリカ合衆国フロリダ州のへ奨学生として進学。野球部では三塁手としてプレイしていた。のMLBドラフトでロサンゼルス・ドジャースから17巡目(全体511位)指名され、6月13日に契約。ルーキー級ガルフ・コーストリーグ・ドジャースで41試合に出場し、打率.286・10打点・7盗塁だった。はA級サウスジョージア・ウェーブスでプレー後、ルーキー級オグデン・ラプターズでプレー。A級サウスジョージアでは三塁のほか、外野手として計25試合でプレーしたが、ルーキー級オグデンでは「大学時代に18試合から20試合は経験した」という捕手へ転向し、52試合に出場。打率.271・6本塁打・36打点・3盗塁だった。はA+級ベロビーチ・ドジャースで122試合に出場し、打率.250・15本塁打・64打点・9盗塁だった。オフの11月23日にドジャースとメジャー契約を結び、40人枠入りを果たした。にはAA級ジャクソンビル・サンズで129試合に出場し、打率.311・9本塁打・61打点・15盗塁と好成績を残した。6月にはチームが所属するサザンリーグのオールスターに選出され、さらにチームの同リーグ優勝にも貢献。若手有望株として育ったが、ドジャースは1歳年下のディオナー・ナバーロのほうに期待をかけており、ナバーロは翌年サンディー・アロマー・ジュニアから指導を受けるなど英才教育を施されていた。2月20日にドジャースと1年契約に合意。第1回WBCのカナダ代表に招集されていたが、開幕捕手の座をナバーロやアロマーと争うことになるなど、大事な時期であったため辞退した。4月1日にAAA級ラスベガス・フィフティワンズへ配属され、開幕を迎えた。5月5日にナバーロが故障したためメジャーに昇格し、同日のミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。8番・捕手として先発起用され、4打数2安打2打点と活躍。その後ナバーロは故障から復帰する前に、6月27日にトレードでタンパベイ・デビルレイズへ移籍。このトレードで新たに加入した同じ捕手のトビー・ホールに対してもマーティンがポジションを譲ることはなく、シーズン終了まで確保した。この年は121試合に出場し、打率.282・10本塁打・65打点・10盗塁だった。マーティンが先発した試合でドジャースは勝率.623を記録し、新人捕手史上3人目の10本塁打・10盗塁を記録。シーズン終了後、マーティンは新人王投票で9位に入った。3月3日にドジャースと1年契約に合意。開幕ロースター入りし、前半戦85試合で打率.306・11本塁打・60打点・16盗塁と活躍。7月にはオールスターのファン投票ではメジャー2年目ながら捕手部門最多得票となり、カナダ人捕手としては初のオールスター選出を果たした。この年は151試合に出場し、打率.293・19本塁打・87打点・21盗塁を記録。のイバン・ロドリゲスしか達成していない "捕手の20本塁打・20盗塁" にあと一歩まで迫った。盗塁数は、ジョニー・ローズボロが保持していた捕手の盗塁数球団記録を45年ぶりに更新している。オフの11月6日にゴールドグラブ賞を受賞し、11月9日にはシルバースラッガー賞を受賞した。2月28日にドジャースと50万ドルの1年契約に合意。前半戦93試合で打率.294・10本塁打・45打点・10盗塁と結果を残し、7月に2年連続でオールスターに選出された。この年は155試合に出場し、打率.280・13本塁打・69打点・18盗塁だった。1月20日にドジャースと390万ドルの1年契約に合意。2月には第2回WBCのカナダ代表に招集され、靭帯を痛めているにも関わらず出場を決めた。地元カナダのロジャース・センターで開催された第1ラウンドで2番・捕手として先発出場したが初戦から2連敗して敗退した。シーズン開幕後は打撃不振に陥り、監督のジョー・トーリに「実力通りの打撃ができないことで、マーティンは精神的に参っている」と2試合連続で先発から外されることもあった。この年は143試合に出場し、打率.250・7本塁打・53打点・11盗塁だった。1月19日にドジャースと505万ドルの1年契約に合意。開幕後は打撃低迷が続き、前半戦終了時点での成績は81試合で打率.244・5本塁打・22打点・OPS.679。チーム首脳はマーティン不振の原因を「遊びすぎ」にあるとみなしているようで、シーズン終了後の契約延長を拒否する可能性も取り沙汰されるようになった。後半戦も調子が上向かないまま、8月3日のパドレス戦で走者として本塁へ滑り込んだ際に臀部を亜脱臼し、8月4日に15日間の故障者リスト入りした。9月7日に60日間の故障者リスト入りへ異動し、そのままシーズンを終えた。オフの契約更改でドジャースは420万ドル+出来高150万ドルの1年契約を提示したが、マーティンは500万ドル+100万ドルを要求。この要求をドジャースが拒否したため交渉は決裂し、12月2日にノンテンダーFAとなった。2010年12月16日にヤンキースと200万ドルの1年契約を結んだ。は前年まで正捕手だったホルヘ・ポサダが一塁手へ転向したため、開幕から正捕手として起用された。8月25日のオークランド・アスレチックス戦では、メジャー史上初の1球団による1試合3満塁本塁打を記録。両チーム合わせて3満塁本塁打は1986年・1987年に1度ずつ記録している。内訳は、5回裏にロビンソン・カノ、6回裏にマーティン、8回裏にカーティス・グランダーソン。試合は22-9でヤンキースの勝利。この年は125試合に出場し、18本塁打65打点8盗塁、打率.237だった。1月24日にヤンキースと750万ドルの1年契約に合意。スプリングトレーニング中にはブライアン・キャッシュマンGMから総額2000万ドルの3年契約を提示されたが、受け入れなかった。この年は133試合に出場し、打率.211・21本塁打・53打点・6盗塁だった。オフの10月29日にFAとなった。2012年11月30日にピッツバーグ・パイレーツと1700万ドルの2年契約(契約金200万ドル)を結んだ。は前年オフに正捕手のロッド・バラハスが退団したため、開幕から正捕手として起用された。この年は127試合に出場し、打率.226・15本塁打・55打点・9盗塁だった。は前年ヤンキースで正捕手を務めたクリス・スチュワートが加入したが、スチュワートが故障で開幕前に離脱したため、この年も正捕手として起用された。4月20日のミルウォーキー・ブルワーズ戦で、3回にブルワーズのカルロス・ゴメスが中堅方向へ大飛球を放ち、ゴメスは本塁打と確信し、ゆっくりと走っていたが打球はフェンスに直撃。ゴメスは三塁へ進んだが、パイレーツの選手から野次が飛び、乱闘騒ぎに発展。乱闘騒ぎに参加したとして、4月23日にマーティンはMLB機構から1試合の出場停止処分を受けたが、処分に不服として異議申し立てを行った。4月26日に左ハムストリングの故障で15日間の故障者リスト入りした。5月9日に処分は変わらず、1試合の出場停止処分となった。5月22日に故障者リストから復帰したが、出場停止のため5月23日のワシントン・ナショナルズ戦から出場となった。スチュワートの復帰後も正捕手のポジションを確保し、この年は111試合に出場し、11本塁打67打点4盗塁、打率.290だった。オフの10月30日にFAとなった。パイレーツは1530万ドルのクオリファイング・オファーを提示したが、11月10日に拒否した。2014年11月18日にトロント・ブルージェイズと総額8200万ドルの5年契約を結んだ。は、前年比 + 18となる129試合に出場し、2年ぶりに規定打席に到達した。コンタクト面では打率を.050も下げて.240となったほか、三振も100を超えたが、自己最多の23本塁打・同2位の77打点を記録し、強力打線の一角として強打を発揮した。また、実に4年ぶりとなるオール・スターのメンバーにも選出されている (試合には代打で出場) 。ディフェンス面では、117試合でマスクを被って4失策・守備率.995・DRS + 4・盗塁阻止率44% (リーグ1位) という好成績を記録。攻守両面で、チームのプレーオフ進出に多大な貢献を見せた。は、ここ7シーズンでは最多となる137試合に出場し、2年連続で規定打席に到達。打率は.231と低く、148三振と粗さが目立ったが、20本塁打・74打点をマークし、捕手ながら2年連続で20本塁打と70打点のラインをクリアする強打を見せた。ディフェンス面では4失策・守備率.996という堅実さに加え、DRSでも + 7を記録して守備面でも扇の要として躍動した。メジャーリーグの捕手としては小柄だが、マーティンは特に守備面で内外から高い評価を受けている。投手の長所を存分に発揮させるタイプの配球で、デレク・ロウによれば「ベテランの投手が首を振っても、頑固に同じサインを出し続けたりする」こともあるという。また、目が悪くコンタクトレンズを使用している斎藤隆のために、色の付いたテープを指に巻いてサインを見やすくするなど、細やかな気配りも忘れない。こうしたことからドジャースのチームメイトはマーティンの巧みなリード、そして責任感の強さに高い信頼を置いている。捕球もミットがブレず、黒田博樹は「すごくうまいですよ」と語っている。盗塁阻止率もデビューからの5年間で31.5%と悪くはない。これらの総合力の高さから相手球団もマーティンを高く評価しており、2007年に『ベースボール・アメリカ』が行ったナショナルリーグ各球団監督へのアンケートでは、マーティンは2年目にして「最も守備のいい捕手」部門で1位となった。ただ、送球が不安定という欠点もある。2010年までの5年間で捕手として記録した48失策のうち44失策が送球エラーで、特に2007年に記録した14失策は全てがそれだった。なお機会こそ非常に少ないが、二塁や三塁の守備に就くこともある。

出典:wikipedia

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