日高 六郎(ひだか ろくろう、1917年1月11日- )は日本の社会学者。進歩的文化人の一人である。英文学者日高八郎の兄。中国の青島市に生まれる。東京高等学校 (旧制)を経て、1941年東京帝国大学文学部社会学科卒業。陸軍に招集されるが肺炎のため4ヶ月で除隊。その後、東京帝国大学文学部助手になり、1944年の秋から海軍技術研究所の嘱託として政治情勢の調査研究に携わっている。戦後は東京大学新聞研究所助教授になり文学部社会学科の兼任を経て、1960年に新聞研究所教授となる。ベトナム戦争に反対し脱走米兵を援助する運動に参加して自宅で脱走兵を匿った。1969年には東大紛争での機動隊導入に抗議して東京大学教授を辞職。1971年に渡仏した。1974年日高が帰国中に妻がフランス警察に日本赤軍との関係を疑われ取り調べを受ける。容疑は晴れて釈放されたが、フランス政府は1989年まで日高夫妻に長期滞在ビザを発給しなかった。1976年に、思想の科学研究会で交流のある鶴見俊輔の勧めで京都精華短期大学教授に就任する。1981年1月から10月までの予定でオーストラリアの大学から客員教授として招かれたが、出国直前にオーストラリア政府からビザの発給を拒否されたことがあった。1989年にフランスの自宅に戻る。2006年日本に帰国。中部大学教授、神奈川人権センター理事長を歴任。谷川雁は後輩。日高によると、1945年の4月から5月の間に海軍技術研究所(技研)から時局の現状について率直かつ自由に書く課題を与えられた。課題提出前の報告会で、世界の情勢は脱植民地、民主主義に向かっており敗戦後のアジア情勢を考えた場合、無条件降伏を要求される前に朝鮮の独立、台湾の中国返還を約束し、中国や東南アジアから日本軍は撤退して連合国によるアジアの再植民地化を牽制するべきと主張した所、同席していた平泉澄に「議論の進めかたが、皇国精神から出発せず、世界の大勢から説きおこしている」「それは皇国精神の否定以外のなにものでもない」と言われ、議論にまったく賛成できないと全面的に否定され、現状を打開する道は国体の本義に徹する以外にないと叱責された。課題は7月に「国策転換に関する所見」として提出したが、8月12日に技研から呼び出しを受け、海軍の意見と全く異なるという理由で解職された、とされている。尾高邦雄によると、日高は尾高と共に技研に嘱託で勤務し、戦中は厭戦思想の研究、戦争末期はソ連と中国共産党を仲介に戦争を終結させる計画に参加した。講和によって戦争終結を早める提言を共同で提出したところ最高顧問に厳しく非難され、それに反論した日高は翌日技研をクビになった、とされている。国際交流基金の援助で、1981年の1月から10月までオーストラリアのメルボルンのラトローブ大学とモナシュ大学に客員教授として招聘されていたが、日本政府から旅券は発給されたにもかかわらず出発直前になってオーストラリア政府から日高夫妻のビザの発給を拒否された。原因は、1974年にパリの日高夫妻の邸宅で日本赤軍のメンバーが会議を開いたという噂があり、それに関与した疑いで夫人がフランス警察に取り調べられたことによる。後日疑いは晴れて釈放された。日高が日本に帰国中の出来事だった。1981年7月28日付けのジョン・メナデューによる日高宛の書簡では、入国拒否の理由は日本赤軍との関係であると説明されていた。1981年12月2日のオーストラリアン紙に掲載されたインタビューでイアン・マクフィーは、黒田瑞夫が日高氏を入国させることはありえないことだと述べたと語った。このビザ発給拒否問題については日豪両国の多数の知識人から政府に抗議があり、日高本人には2年半後、妻には5年半後にビザは発給された。日高が理事長を務めていた「社団法人神奈川人権センター」が、1997年1月29日に予定されていた三浦商工会議所での新春経済講演会に櫻井よしこが講師として招かれることについて、同商工会議所に「従軍慰安婦問題で差別的発言をしている講師を招くことは参加者にも悪影響を与える。講師の選択につき再検討の余地があるのではないか」との申し入れ書を27日に送付する。これを受けた、慰安婦等の問題に触れない条件で公演を行なうとの28日付新聞記事が出るや、同商工会議所に抗議が殺到する。八木秀次によると、前年12月8日の兵庫県播磨町教育委員会主催による桜井の講演会が組織的な電話等で中止に追い込まれた問題は顧みられず、三浦商工会議所は神奈川人権センターの圧力に屈する格好で講演会の中止を決定した。林房雄から山田宗睦が1965年に刊行した『危険な思想家』に「この本は成功した第一号だ」という「人工衛星的ほめ方」の推薦文を寄せたことを批判されており、竹内洋によると吉本隆明から山田や日高らは自分たちのネットワークを壊し孤立させようとしている学者を告発しているにすぎないと批判されている。
出典:wikipedia
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