朱 筠("しゅ きん"あるいは"しゅ いん"、1729年 - 1781年)は、清朝中国の儒学者。字は竹君。朱珪の兄。本籍は順天府大興県であるが、実際の誕生地は父の任地である陝西省盩屋県であった。9歳の時に本籍地の順天府(北京)に戻り弟・珪とともに読書と経文に精通した。乾隆19年(1754年)の進士。編修・贊善・侍読学士・日講起居注官などの官職を経て、乾隆35年(1770年)に福建郷試正考官となり、翌年には安徽の学政提督となる。永楽大典の中から著述や記録に備えるために、若干部分を抜粋浄書すべきであると上奏し、その提案が採用されて編纂事業が始められた。後に『四庫全書』の編纂にたずさわり、乾隆44年(1779年)には福建の学事政策を司る。朱筠は博聞にして広い範囲で読書をし、李威・洪亮吉・武憶・黄景仁・呉鼒などの弟子がいた。著書に『笥河集』36巻がある。
出典:wikipedia
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