マーガリー事件は1875年、清とビルマの国境でイギリス駐華公使館員 () が、中国人に殺害された事件。当時イギリスはビルマを植民地化していたが、そこから中国の雲南省を通って、中国内陸部と通商を行うことを企図し、その通商路の開拓のために、H.A.ブラウン大佐の指揮する探検隊をビルマ北部のバモーから中国に向けて派遣した。ところがその探検の途中、通訳兼道案内人に選ばれたマーガリーが、武装した中国人に殺害されると、イギリス側は清に厳重な抗議を行った。この事件はイギリス政府にとっては清側に圧力を加える格好の口実となった。翌1876年にはイギリス公使トーマス・ウェードと李鴻章が、事件に無関係の条件も含まれた芝罘条約(煙台条約)に調印することによって、一応の解決を見た。
出典:wikipedia
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