中村 哲治(なかむら てつじ、1971年7月24日 - )は、日本の政治家。法務大臣政務官、衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)を務めた。奈良県生駒市生まれ。東大寺学園中学校・高等学校、京都大学法学部卒業。大学卒業後、海野徹参議院議員の政策担当秘書を経て、2000年の第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で奈良2区から出馬。小選挙区では自由民主党の滝実に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、初当選した。2003年の第43回衆議院議員総選挙では前回敗れた滝を破り、奈良2区で当選(滝も比例復活)。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、滝が郵政民営化法案の採決で反対票を投じ、自民党を離党して新党日本から出馬。自民党は、奈良1区から国替えした高市早苗を公認し、奈良2区では高市が当選。滝も比例復活したが、中村は比例復活すら出来ず落選した。2007年7月、第21回参議院議員通常選挙に民主党公認で奈良県選挙区から出馬。国民新党の推薦や当時新党日本に所属し、これまで衆議院の議席を争ってきた滝の支援も受け、当選した。2009年5月6日に平頂山事件について日本政府に公式謝罪を民主党の訪中した両院議員団24名で要求した。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、衆議院の解散当日に民主党に入党し、奈良2区から出馬した滝を全面的に支援し、滝は高市を約3800票差で破り、当選(高市も比例復活)。同年9月に発足した鳩山由紀夫内閣で法務大臣政務官に任命され、菅内閣まで務めた。2010年9月の民主党代表選挙では、現職の法務大臣政務官ながら首相の菅直人ではなく小沢一郎を支持するも、小沢は菅に敗れた。2012年7月、首相の野田佳彦が推進する消費税増税に反対して民主党を離党し、新党「国民の生活が第一」の結党に参加。同党参議院政策審議会長に就任。同年10月25日には次期総選挙において奈良2区への鞍替え出馬を表明した。同年11月27日に国民の生活が第一が日本未来の党へ合流したことに伴い、同党に参加。同年12月4日の第46回衆議院議員総選挙公示を受けて立候補を届け出たため、公職選挙法の規定により、参議院議員を失職した。同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では日本未来の党公認で奈良2区から出馬したが落選。2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙では生活の党公認で奈良2区から出馬するも、再び落選。「なら骨髄バンクの会」のボランティア活動を行っている。2006年4月8日に妻が自殺したが、これに関し奈良日日新聞は2010年4月、その大きな要因が中村にあると報じた。中村はこれらの報道を否定し、2010年6月21日に報道を行った奈良新聞社と奈良日日新聞社双方の社長を相手取り名誉棄損の損害賠償請求各1億円と謝罪広告の掲載等を求め奈良地裁に提訴した。被告の奈良新聞社と奈良日日新聞側は全面的に争う姿勢を見せたが、2013年1月17日、奈良地裁は名誉毀損を認め、それぞれに330万円の支払いと謝罪広告の掲載を命じた。裁判長は判決理由で「中村氏と妻の遺族側は対立関係にあり、両紙は遺族側から得た情報の信用性を吟味し、裏付け取材を行うべきなのに、しなかった」と指摘した。また、2011年1月31日には遺族側が本件に絡み中村に対して計約1億4650万円の訴訟を大阪地裁に起こしたが、訴えは棄却された。奈良新聞社と奈良日日新聞社の損害賠償責任を認めた第一審に対して、同社らは控訴したが、大阪高裁は控訴を棄却した。さらにこの大阪高裁の判決に対して同社らは上告したが、最高裁判所は上告を棄却し判決が確定した
出典:wikipedia
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