刑法(けいほう、明治40年法律第45号)は、犯罪に関する総則規定および個別の犯罪の成立要件やこれに対する刑罰を定める日本の法律。明治40年(1907年)4月24日に公布、明治41年(1908年)10月1日に施行された。広義の「刑法」と区別するため、刑法典とも呼ばれる。日本において、いわゆる六法を構成する法律の一つであり、基本的法令である。ただし、すべての刑罰法規が刑法において規定されているものではなく、刑事特別法ないし特別刑法において規定されている犯罪も多い。現行刑法は、第1編の総則(第1条〜第72条)と、第2編の罪(第73条〜第264条)の2編によって構成されている。現行刑法は、強力な治安法制を確立させたいという制定時の政治的な思惑が反映される一方で、犯罪類型について抽象的・包括的な定め方がされ、法定刑の幅が広く取られている。そのため、裁判官の解釈や量刑の余地が大きく、裁量によって執行猶予を付すことができたり、逆に累犯に対しては重い処罰をすることができるものとなっている。これは犯罪者の更生や社会防衛のための柔軟さを兼ね備えたものであり、制定当時の国際水準においては最先端の刑法典であった。だが、その一方で政治的な意図が運用に反映され過ぎれば、人権が侵される危険があり、実際に刑事裁判においてはその歴史をたどってしまっている。それが克服されたのは、司法行政権が、内閣を構成する司法大臣から裁判所の下に移り、人権の尊重を謳った日本国憲法の制定以後のことである。ここでは、個別の犯罪に共通する一般原則を規定している。この編の規定は、明文のない限り他の刑罰法規(特別刑法)において定められた犯罪にも適用される。刑法の総則を理論化したものが講学上の刑法総論である。第1章では、刑法の場所的・時間的適用範囲が規定されている。日本の刑法ではで属地主義を採用しており、この属地主義の立場を基本として犯罪の類型ごとに属人主義、保護主義、世界主義で補充する形をとっている(刑法第2条以下)。第2章~第6章では、死刑・懲役・罰金・拘留・科料といった刑罰の種類や軽重、刑の執行猶予、仮釈放、刑の時効及び消滅等について規定している。第7章では、正当防衛や緊急避難といった違法性阻却事由や、故意犯処罰の原則、責任能力、自首等について規定している。第8章では、未遂罪について規定している。旧刑法では、未遂は必要的減軽事由であったが、現行刑法では「刑を減軽することができる」となっており、任意的減軽事由である。第9章では、併合罪や、観念的競合、牽連犯等に関する罪数の処理方法について、第10章では、累犯について規定している。第11章では、共犯について規定している。共同正犯についてもこの章に規定されており、ここでいう「共犯」とは広義の共犯を指す。第12章では、酌量減軽について、第13章では、刑の加重・減軽の順序や方法について規定している。ここでは、殺人罪や窃盗罪、放火罪など各種の犯罪類型や、その未遂罪を処罰するかどうかなどを規定する。これら各犯罪の構成要件等について研究するのが講学上の刑法各論である。条文の配列は、基本的に「国家的法益に対する罪」(第2章~第7章)、「社会的法益に対する罪」(第8章~第24章)、「個人的法益に対する罪」(第26章~第40章)の順になっている。ただし、保護法益に対する考え方の違いもあり、全ての犯罪類型がこの順序に従って並んでいるわけではない。例えば、国家的法益に対する罪である「汚職の罪」は第25章に位置しており、また、今日では一般的に個人的法益に対する罪だと解されている「わいせつ、姦淫及び重婚の罪」は第22章に位置している。日本の刑法典の各則(罪)は、犯罪を包括的に規定しているために条文数が少なく、また法定刑の幅が広く規定されているのが特徴である。上代には大祓詞(おおはらえのことば)では、身体障害、疾病、自然災害も含んだ天つ罪・国つ罪(あまつつみ・くにつつみ)の観念があり、これらは祓(はらえ)により浄化された。しかし、公開刑の死刑、財産刑、没収、追放なども存在したとされる。大化改新ののち、大陸からの帰化人や留学生により大宝律令、養老律令が制定された。これらは唐律の規定にならうが、規定の簡素化と刑の緩和がはかられていた。なお、弘仁9年(818年)から保元元年(1156年)までの339年間、朝臣に対して死刑が行われなかった(→日本における死刑)。鎌倉時代には律令法は公家の荘園や洛中に限られ、武士の慣習法を取り入れた御成敗式目(貞永式目)が国法的地位にあった。死刑、流刑、追放刑、自由刑、身体刑、職務刑、のほか財産刑が行われた。室町末期から戦国時代には幕府法、各分国法が行われ、残虐な刑が威嚇主義的に行われた。また、縁座、連座の制度が拡大され、喧嘩両成敗の法が武士の間で広く行われた。武家の刑法は江戸時代に完成を見る。徳川吉宗の時代に御定書100ヶ条(公事方御定書下巻)が、徳川氏の判例法の集大成として制定された。刑罰にも身分制を取り入れ、死刑も武士は切腹、斬罪、庶民には磔、獄門、火刑などと差別化され、遠島刑、追放刑、自由刑、財産刑、身分刑、などが行われた。江戸末期には、佐渡水替人足、人足寄場などは近代自由刑の更生施設的な意味も見いだされるとされる。ただし、公事方御定書など江戸幕府制定の規定が直接適用されるのは、天領や旗本領など幕府の支配下にあった地域に限られており、諸藩の領内では藩法に基づく刑法・刑事訴訟が行われていた。は、今日では現行の刑法と区別して「旧刑法」と呼称されている。また、施行年に基づいて「明治15年刑法」と称される場合もある。明治13年(1880年)7月17日に治罪法(刑事訴訟法)とともに制定され、同15年(1882年)1月1日に新律綱領・改定律例に代わって施行された。全4編、430条から成る。明治5年(1872年)頃から司法省内で本格的な刑法草案の起草が進められていたが、「校正律例稿」(明治7年)・「日本帝国刑法初集」(明治9年、「改正刑法名例集」とも(総則のみ))などいずれも不十分なものであった。そこで司法省はボアソナードにフランス刑法典を基本にした刑法草案の作成を依頼して、でき上がった草案を元に元老院内に伊藤博文(後に柳原前光に交代)を中心に陸奥宗光・細川潤次郎らとともに「刑法草案審査局」を設置して審議を行って修正を加えた。犯罪を重罪・軽罪・違警罪の3種類に分けて規定している。基本的には1810年に制定されたフランス刑法典を基本にしているが、自首による罪の減軽(85条以下)、親族関係への配慮(犯罪を犯した者を蔵匿・隠避した親族に対しては罪を問わない(153条)、親族間の窃盗については罪を問わない(377条-親族相盗例)など)、不敬罪の厳罰化(117条、119条)など、日本の伝統的な法思想に基づく規定もある。対外的には日本が文明国であることのアピールを目指した側面と、国内的には自由民権運動の激化に対抗するための治安法制としての側面が見られる。ところが、旧刑法制定の直後から、この刑法に対する不満の声が政府内から持ち上がった。旧刑法は近代的な市民社会が確立されたフランス法の影響を受けて国家による処罰権の行使に制約が加えられていること(さらに民法典論争で同じくフランス法をモデルとした旧民法が非難の的となったことも影響した)、このころヨーロッパでは新しい刑法理論(近代学派(新派))が誕生して、従来の理論(古典主義(旧派))と激しい論争が行われているのに、旧刑法ではその成果が反映されていないことなどが問題視された。さらには近代化の途上にあった当時の社会の急激な変化に伴う犯罪の増加に対して対応できていないという不満が批判に拍車をかけた。このため、保安条例・治安警察法などの新しい治安立法や「賭博犯処分規則」・「命令ノ条規違反ニ関スル刑罰の件」(1890年、行政罰を定めた法令で当時は罪刑法定主義との関係で推進派の伊東巳代治と違憲論の井上毅の間で激論が交わされた)などによって、旧刑法の理念との矛盾を含んだ新しい法令が次々と定められ、一部には「刑法不要論」まで唱えられる始末であった。この動きを見た司法省は、ドイツ刑法を中心に各国の刑法を参考にしながら、新しい刑法を制定する方針を固めた。改正案は1890年・1895年・1897年・1901年・1902年と5度にわたって議会に提出されたが、政治的な問題で廃案とされたり、弁護士会(時には検察官や裁判官も加わった)の反対論などによっていずれも挫折してしまった。第1次西園寺内閣の司法大臣であった松田正久は、官僚だけでなく学者や弁護士、帝国議会両院からも代表を迎えた「法律取調委員会」を組織し、そこで刑法改正論議を行わせることにした。松田の苦労が実を結んで、明治40年(1907年)に現行の刑法が成立した。時代の変遷や社会の高度化に伴い、原因において自由な行為や共謀共同正犯など現行の刑法が想定していなかった問題が山積していたため、政府は大規模な刑法の改正に乗り出した。そして、昭和49年(1974年)5月29日、法制審議会総会が、前述の問題に対する解決や保安処分、現代的な犯罪類型などを盛り込んだ改正刑法草案(全369条)を決定した。しかし、犯罪となる行為の範囲が広くなりすぎる、国家主義的であるなどの批判を受け、国会に上程されることなく現在に至っている。業務上横領罪の法定刑の変更日本国憲法公布に伴い、その精神に沿うようにするための改正。身代金目的拐取罪(225条の2)新設収賄罪・斡旋贈賄罪の法定刑加重罰金等臨時措置法によって引き上げられていた刑法の罰金額を、直接引き上げるもの。主に、漢字片仮名混じりの歴史的仮名遣から、漢字平仮名の現代仮名遣いに改めるための改正。原則として内容に変更を加えないこととされたが、次の点で事実上の改正もされた。日本の代表的な刑法学者については、または日本の法学者一覧を参照特集・刑法典の百年(ジュリスト1348号)
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