寿美 花代(すみ はなよ、1932年2月6日 - )は、兵庫県西宮市出身の女優、タレント。宝塚歌劇団の元星組男役トップスター。血液型はAB型。東宝芸能所属。本名:高嶋 節子(たかしま せつこ、旧姓:松平)。宝塚歌劇団時代の愛称は旧姓からマッちゃん。久松松平氏の流れをくむ名家に出生する。戦時中は岐阜県下呂市の親族の元に縁故疎開していた。芦屋高等女学校(現:芦屋学園中学校・高等学校)を経て、1948年、宝塚歌劇団に入団。宝塚歌劇団35期生。宝塚時代の配属組は月、星、声楽専科の順である。『春のをどり』で初舞台を踏む。同期生に高千穂ひづる、雅章子(金田正一夫人、金田賢一の母)、槇克己(元宝塚市長夫人)らがいる。八千草薫とは一期違いである。宝塚入団時の成績は46人中35位。宝塚に入るまで女性のみの劇団ということに気付いていなかった。スターになったきっかけは代役で、その条件はカツラが頭に合ったことだった。1951年、『蜜蜂の冒険』の代役で主役ペーアに演じる。1952年、『猿飛佐助』で初主演し、その人気はブロマイドの売り上げ1位になるほどであった。1953年には『アンニー・ローリー』で宝塚新人演技賞を受賞。1958年、『三つのワルツ』で淀かおる、大路三千緒とともに芸術祭奨励賞(大衆芸能の部)を受賞する。1960年の『華麗なる千拍子』では芸術祭賞、テアトロン賞を受賞。翌1961年にも上演され出演している。それまでの男役とは違い、パイナップルの女王役で網タイツの脚線美を披露した場面が話題をさらった。『華麗なる千拍子』は映像が現存する。同1961年12月31日、第12回NHK紅白歌合戦に初出場(下記参照)。在団中は男役で活躍する一方で、映画に外部出演している(下記参照)。1963年、高島忠夫との結婚のため、花・星組合同公演『タカラジェンヌに栄光あれ』を最後に退団。平成以降、『平成教育委員会』や『ちちんぷいぷい』などのバラエティ番組にも単独で出演している。高島忠夫との関西弁の巧みな話術を交わすおしどり夫婦ぶりはよく知られており、高島がうつ病で活動を控えるまで夫婦でのテレビ出演が多かった。私生活では高島との間に3男を授かる。長男・道夫は1964年、生後5か月で家政婦に殺された(高島忠夫長男殺害事件)。この時の心的外傷から、未だに湯船につかることができない事を各メディアで述べている。後に出生した第二子の高嶋政宏、第三子の高嶋政伸も俳優として活躍。家族そろって同じ事務所に所属している。妹も松平 三保の芸名で宝塚に在籍。トップ就任はならなかったが、姉同様スターとなったことでも知られる。松平三保の娘(芸名:松平 瑠美)も宝塚在籍歴があり、芸名の命名や劇団生活を送る上での助言、相談に度々乗っていたことも知られる。元花組トップ娘役の美雪花代の「花代」は寿美に由来する。
出典:wikipedia
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