中田 考(なかた こう、1960年7月22日 - )は日本のイスラム法学者、実業家。元同志社大学高等研究教育機構客員教授。アフガニスタン平和開発研究センター客員上級研究員。株式会社東講(旧・カリフメディアミクス)代表取締役社長。東講は宮内春樹が運営するリサイクルショップ落穂拾などを展開している。ムスリム名はハサン。1960年に岡山県に生まれ、兵庫県芦屋市、西宮市で育つ。灘中学校・高等学校を卒業し、早稲田大学政治経済学部に入るが、翌年東京大学文科三類に入りなおす。東京大学文学部イスラム学科卒業(1984年)、同大学院人文科学研究科宗教学宗教史学修士課程修了・イスラーム学修士号取得(1986年)。カイロ大学大学院文学部哲学科博士課程修了(1992年)Ph.D.取得後、在サウジアラビア日本国大使館専門調査員を務めた。1994年以降は日本に拠点を置いている。宝積比較宗教文化研究所研究員(1994年)、山口大学教育学部助教授(1995年)、日本学術振興会カイロ研究連絡センター所長(1997年)、同志社大学神学部神学研究科教授、同志社大学一神教学際研究センター幹事(2003年)と日本のアカデミックな職場を転々としたのち辞職。株式会社東講(旧・カリフメディアミクス)創業(2013年)。同年シリアに渡航し、反アサド派に従軍。イスラム法学者としてのキャリアをイブン・タイミーヤに関する研究からスタートした。タイミーヤの政治思想、哲学思想、法学に関する論文を書いた後、イスラム法学におけるカリフ論、バイア論、寛容論(イスラームにおける寛容思想)などに関する論文を書き、自身の基盤となるハンバル学派の解釈を軸にした古典イスラム法学の研究、イスラム法学に基づく統治を目指すイスラーム主義の研究、そして現実のムスリム国家の政体に関する研究を重点的に行うようになる。ハンバル学派におけるコーラン解釈を『イスラーム法の存立構造』(ナカニシヤ出版、2003年)で初めて本格的な形で日本に提示、正統10伝承の異伝を全て訳す、という、世界初唯一の翻訳本『日亜対訳 クルアーン――「付」訳解と正統十読誦注解』(作品社、 2014)を出版。コーランと預言者ムハンマドの言行(スンナ)を重視するイスラム理解が研究の姿勢に色濃く反映されている。日本オリエント学会第15回(平成05年度)奨励賞「ジハード(聖戦)論再考」カリフ制の再興を訴え、イスラム主義、イスラム法に基づいた思想を持っている。2013年3月からISILの支配地域に何度も足を運び、ISILの司令官らと接触しており、司令官と直接情報交換できることを明らかにしている。2014年9月には、常岡浩介と一緒にISIL支配地域に入っている。ISILに戦闘員として参加を希望する当時26歳の日本人学生に対して、ISIL司令官に連絡をとり参加の仲介をした。2014年8月中田はその学生に面会し、中田の立会いで学生はイスラム教に入信した。中田は学生のシリアへの渡航のためにルートと通訳を手配し、シリア入国後は中田が紹介したISIL幹部が出迎え戦闘員になる予定であった。参加計画は渡航直前に警視庁公安部によって私戦予備・陰謀事件として阻止され、学生は身柄を拘束され、中田と常岡浩介らは事情聴取と家宅捜索を受けた。また別に千葉県内の20歳男性も中田に連絡を取り、2014年8月にシリア渡航する予定であったが、家族が説得したために未遂に終った。ISILによる日本人拘束事件に関連して2015年1月22日に記者会見を行い、ISILの高官と人質の解放について話し合う用意があると述べたが、これは実現しなかった。漫画やライトノベルを読む。ニンジャスレイヤーを通読しており、自身もtwitter上においてカリフラノベを不定期連載していた。商業ラノベも読み、西尾維新と、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』を好きな作品として挙げている。灘高では将棋同好会の会長であり、現在でも将棋に熱中している。2015年3月時点の将棋ウォーズの段位は3段である。
出典:wikipedia
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