岸田 文雄(きしだ ふみお、1957年〈昭和32年〉7月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、外務大臣(第147・148代)、宏池会会長(第8代)。内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策・規制改革・国民生活・再チャレンジ・科学技術政策)、消費者行政推進担当大臣、宇宙開発担当大臣、自民党国会対策委員長(第52代)などを歴任。中小企業庁長官、衆議院議員を務めた岸田文武は父。戦前戦後に衆議院議員を務めた岸田正記は祖父。参議院議員・経済産業大臣を務めた宮澤洋一は従兄弟。東京都渋谷区出身。本籍地は広島県広島市比治山町(現・南区比治山町)。父・岸田文武は広島県出身の通産官僚。小学校一年生から三年生まで、父の仕事の関係でニューヨークに居住し、パブリックスクールに通う。帰国後、千代田区立麹町小学校の三年次に転入し、千代田区立麹町中学校を経て開成高等学校を卒業。1982年早稲田大学法学部卒業、同年日本長期信用銀行に入社。1987年、父・衆議院議員岸田文武の秘書となる。1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧広島1区から自由民主党公認で出馬し、初当選。父親と同じ宏池会に所属する。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い広島1区から出馬し、以後広島1区で連続7選。2000年の宏池会分裂に伴い、堀内派の旗揚げに参加。2001年、第1次小泉内閣で文部科学副大臣に任命される。2007年、第1次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策・規制改革・国民生活・再チャレンジ・科学技術政策)に任命され、初入閣した。続く福田康夫内閣でも内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策・規制改革・国民生活・科学技術政策)に任命され、引き続き入閣。併せて消費者行政推進担当大臣、宇宙開発担当大臣にも任命され、一時は最大で6つの大臣ポストを兼務した。2009年の第45回衆議院議員総選挙では、広島1区で民主党の菅川洋を破り、6選(広島県の小選挙区で議席を獲得した自民党の候補者は岸田のみ。また、広島1区では初めて次点以下の候補者が比例復活した)。2011年9月、自民党総裁谷垣禎一の下、党国会対策委員長に就任(2012年9月退任)。2012年10月、政界引退を表明した古賀誠から宏池会を継承し、第8代宏池会会長に就任した。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、広島1区で7選。選挙後に発足した第2次安倍内閣では外務大臣として入閣し、第2次安倍改造内閣で留任、更に2014年12月の第47回衆議院議員総選挙で8選した後に第3次安倍内閣でも再任、自民党総裁選後の2015年10月に発足した第3次安倍第1次改造内閣でも外相を留任する。同年12月28日ソウル市内で尹炳世韓国外交部長官と外相会談をし、日本国政府は韓国政府が設立する元慰安婦を支援するための財団に10億円拠出し慰安婦問題を最終的かつ不可逆的に解決する事で合意する日韓合意がなされた。2016年4月、地元広島で開催されたG7外相サミットの議長を務め、他のG7外相と共に広島平和記念公園を訪問。広島平和記念資料館を訪れた後、原爆死没者慰霊碑に献花を行う。同年5月、バラク・オバマの広島訪問が実現した際にオバマに対して原爆ドームなどについて説明を行う。参議院選挙後、同年8月に発足した第3次安倍第2次改造内閣でも留任。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。