霧島神社(きりしまじんじゃ)は、かつて日向国にあった神社(式内社)である。また、霧島神宮の旧社名でもある。国史の初見は『続日本後紀』承和4年(837年)8月1日条で、日向国の他の3社とともに霧島岑神が官社に預るという記述である。その後、『日本三代実録』天安2年(858年)10月22日条に従四位下の神階を授けるという記述がある。延喜式神名帳では「日向国諸県郡 霧島神社」と記載され、小社に列している。霧島神社は霧島山の神を祀ったものであり、元々は霧島山の山頂附近にあったが、霧島山の噴火によって社殿を焼失したため各地に遷座され、また、分社も行われた。そのため、現在、式内社・霧島神社の論社には以下の4社がある。霧島神宮の社伝によれば、鎌倉時代の噴火で社殿を焼失し、社殿を霧島山の東の長尾山に移し東霧島権現(東霧島神社)とした。文明16年(1484年)、島津忠昌がこれを2社に分けた。東社(霧島東御在所両所権現)が現在の霧島東神社、西社(西御在所霧島六社権現)が現在の霧島神宮である。霧島岑神社(霧島山中央六所権現)の社伝では、天慶・天暦年間に性空上人が霧島岑神社に参籠し、霧島山の四方に夷守神社ほか4社を創建したという。これら4社に狭野神社(狭野大権現)・夷守神社(夷守六所権現。明治6年に霧島岑神社に合祀)を加えて霧島六社権現という。このうち西御在所霧島六社権現が中心的な役割を果たしており、明治の神仏分離の際に霧島神社に改称した。明治7年(1874年)、霧島神社は霧島神宮となり、明治10年に東霧島神社を、明治13年に霧島東神社を摂社とした。
出典:wikipedia
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