マルクス・リウィウス・サリナトル(, 紀元前254年 – 紀元前204年)は、共和政ローマ、第二次ポエニ戦争期の元老院議員。紀元前219年に執政官を務めた。リウィウスの名が記録に出てくるのは紀元前219年、執政官としてルキウス・アエミリウス・パウッルスとともに選ばれた時である。そしてイリュリアに対して遠征を遂行、しかしカルタゴに対する作戦において略奪品の不正があり告発され、ローマに戻ると法廷に立たされ有罪とされた。執政官を辞した後は政治生活から離れた隠遁状態にあったが、紀元前210年に政界復帰、紀元前207年には再び執政官に任命される。そしてガイウス・クラウディウス・ネロとともにメタウルスの戦いでハンニバルの弟ハスドルバルを破り、戦死させた。そしてローマに帰還するとネロとともに紀元前206年、凱旋式の敢行を許される。そして紀元前206年から紀元前205年にかけてエトルリア地方を死守、第二次ポエニ戦争終了時にはガリア・キサルピナの防衛を担っていた。その後彼は再びクラウディウス・ネロとともにケンソルに就任、しかしネロと塩税で対立、激しく口論した。この「塩」(salis)から「サリナトル」という名が来て、彼の子孫はこの名を名乗ることとなった。
出典:wikipedia
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