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リンカーン (競走馬)

リンカーン(2000年 - 2012年)は日本の競走馬・種牡馬。半弟に2007年の皐月賞馬ヴィクトリー(父ブライアンズタイム)がいる。由来はアメリカ合衆国第16代大統領のエイブラハム・リンカーンより。中央競馬で競走生活を送る。当初、森秀行厩舎に所属し2002年のデビュー戦となった新馬戦で2着。続く翌月の未勝利戦も2着であったが、音無秀孝厩舎に転厩して3戦目の未勝利戦で勝利を挙げると2003年になっても若駒ステークス、すみれステークスまで3連勝。その後、皐月賞を予定通り回避し、青葉賞に出走予定だったが、喘鳴症の一種である喉頭蓋エントラップメントを発症し、手術を余儀なくされ同レースも回避。そのため、奇しくも伯父フサイチコンコルドと同じローテーションである、すみれステークスからぶっつけでの東京優駿出走となり、8着に敗れる。秋は神戸新聞杯で4着、菊花賞では2着、有馬記念では2着と善戦するも勝ちきれない成績が続く。翌2004年の阪神大賞典では、前年の菊花賞優勝馬ザッツザプレンティを負かし約1年ぶりの勝利を挙げる。天皇賞(春)では1番人気に支持されるが、体調不良もあって13着と大敗を喫する。宝塚記念では3着と巻き返すが、天皇賞(秋)では12着とまたしても凡走してしまう。2005年も春シーズンはGIではもう一息の成績。秋の京都大賞典で2004年の阪神大賞典以来の勝利を挙げるが、その後のGI3戦では有馬記念の3着が最高着順であった。翌2006年初戦は日経賞に出走し1番人気に支持され勝利を収める。天皇賞春に出走、最後の直線で勝ったディープインパクトとの差を詰めるも2着。この時騎乗していた横山典弘は「(リンカーンの生まれた)時代が悪かった」と言葉を残している。その言葉どおり、リンカーン自身の記録したタイム(3:14.0)は、マヤノトップガンが記録した天皇賞(春)のレースレコードよりも速い走破タイムであった。続く宝塚記念では2番人気に支持されたが、雨で渋った馬場も影響して9着と敗退した。夏場は放牧に充てたのち、悲願のGI制覇に向け秋の復帰戦を京都大賞典に定め、9月7日に帰厩したが翌8日に右前浅屈腱炎を発症していることが判明、間もなく引退することとなった。通算23戦中13戦がGIであり、2着3回、3着2回とあと一息のところでGIに手が届かなかった。2007年より社台スタリオンステーションにて、種牡馬として繋養された。種付け料が安価なことや、皐月賞で半弟のヴィクトリーが優勝したことも相俟って初年度は約190頭の繁殖牝馬と交配している。これは新種牡馬としてディープインパクトに次ぐ頭数である。2011年、初年度産駒のデルマドゥルガーがジュニアカップを勝ち、桜花賞へ出走、初年度からGI戦線へ産駒を送り出している。2012年6月23日、病気のため死亡。2015年2月18日現在母グレースアドマイヤは東京優駿(日本ダービー)勝ち馬フサイチコンコルドの半妹にあたり、リンカーンはその甥にあたる。本項で挙げた馬のほかにも、1963年生まれのサラブレッドの牝馬にリンカーンが存在する(父ヤマニンモアー)。その代表産駒に地方競馬初の1億円馬となったマルイチダイオー(父チャイナロック)。

出典:wikipedia

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