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三陸海岸

三陸海岸(さんりくかいがん)は、東北地方にある陸奥・陸中・陸前の3つの令制国(三陸)にまたがる太平洋に面した海岸のこと。一般的には、北上山地が太平洋と接する海岸線を指す。すなわち、青森県南東部の鮫角から岩手県沿岸を経て宮城県東部の万石浦まで、総延長600km余りの海岸を言う。海岸中部の岩手県宮古市には本州最東端の魹ヶ崎()があり、同市を境に北部は海岸段丘が発達し、南部はリアス式海岸となっている。主要産業は、観光および世界三大漁場「三陸沖」などでの漁業。「三陸海岸」という言葉が指す範囲にはいくつかある。Aは、字面の通りに「三陸」を捉えた範囲であり、気象学や気候学の分野で「三陸沖」と言う場合に対応する三陸海岸である。Cは、北上山地東海岸にあたり、日本海溝沿いの地震による津波の直接波の被害地域である。Bは、Cの範囲に宮城県・牡鹿半島の仙台湾側を含めた範囲であり、海岸地形や人文地理学的な共通性を根拠にしている。一般的にはBの範囲が三陸海岸とみなされている。江戸時代には、現在の岩手県釜石市の石塚峠()を境に、北側が南部藩(八戸藩および盛岡藩)、南側が仙台藩の知行域となっていた。江戸時代において、当海岸全体を指す名称は不明である。ただし、地域名としては、南部藩領内を「三閉伊通」あるいは「海辺道」と呼んでいたことが知られている。1869年1月19日(明治元年12月7日)、戊辰戦争において賊軍となった奥羽越列藩同盟諸藩に対する処分が行われ、減封・領地換えによって当海岸は従前のように南部・仙台両藩のみの領内ではなくなった。同日、太政官布告により、出羽国が2つに陸奥国(むつ)が5つに分割され、おおむね両藩の旧知行域には陸奥(りくおう)・陸中(りくちゅう)・陸前(りくぜん)の3ヶ国が設置された。すると、3つの陸の付いた国は「三陸」と総称されるようになり、両藩の旧知行域を指す言葉として用いられるようになった。1896年(明治29年)6月15日に発生した地震および津波により、当海岸は甚大な被害を受けた(参照)。しかし、当海岸全体を指す言葉が無かったため、この地震・津波の報道では当初様々な呼称が用いられた。やがて「三陸」という言葉が用いられるようになり、当海岸は「三陸海岸」と呼ばれるようになった。三陸海岸に面する地域は、地理的な位置や産業構造の類似性から、一括して「三陸地方」あるいは、単に「三陸」と呼ばれることも多い。すなわち、「三陸」は陸奥・陸中・陸前の3国全域を指すことよりも、この三陸海岸地域を指すことの方が多いので、注意が必要である。同様に、旧国名を用いながら旧国の領域より狭い地域を指す例として、房総や両毛などがある。当海岸は全体として隆起地形であるが、隆起の速度の違いにより、岩手県宮古市を境に南北で異なる様相を呈する。岩手県宮古市より北では、陸地が大きく隆起し、海岸段丘が発達している。そのため、段丘崖が海に接して海岸線が単調となっており、港に適した場所が少ない。また、段丘崖が波の侵食によって変化に富んだ海蝕崖となっている場所もあり、北山崎や鵜ノ巣断崖に代表されるような景勝地が多い。段丘面は侵食によって既に深い谷が形成されているところも多いが、八戸市周辺などではなだらかな台地状を呈しており、農業・牧畜などが盛んである。一方、宮古市よりも南では、隆起速度を上回る海面上昇により相対的に沈水した結果、リアス式海岸となっている。そのため、入り組んだ複雑な海岸線と水深の深い入り江が多数みられ、天然の良港となって漁業が盛んである。世界三大漁場「三陸沖」には、この南部の漁港から主に出漁する。台地上のところはほとんどなく、海に面した急峻な谷間にできた沖積平野が陸上の主な生活の場である。江戸時代には、干しアワビ、フカヒレなどの長崎俵物(中国向けの輸出品)の産地となった。海岸沿いには国道45号、八戸線、三陸鉄道北リアス線・南リアス線、山田線、大船渡線、気仙沼線が通っており、三陸沿岸道路が建設中である。海岸沿いには北山崎、浄土ヶ浜、碁石海岸、金華山など多数の景勝地があり、遊覧船が就航されている所もある。沿岸の暖流は、日本海を北流した対馬海流が津軽海峡を通過して八戸辺りまで南流し、日本列島南岸の太平洋を東流した黒潮が気仙沼辺りまで北流するため、両暖流が流れる海域では海水温が高い季節があるが、両者の間の沿岸水域は水温が低い。そのため、沿岸漁業ではやや地域差がある。沖合いは黒潮と親潮がぶつかり合う良漁場で、世界三大漁場の1つ「三陸沖」として知られる。「三陸沖」はサンマやカツオなどの主漁場となっており、日本各地から「三陸沖」で操業しようと漁船が集まって来ている。このため、日本の特定第3種漁港13港のうち、八戸・気仙沼・石巻・塩釜の4港がこの地域に集中しており、漁船に乗る外国人も含め、沿岸の水揚げ港では日本各地の方言や外国語が飛び交っている。特定第3種漁港4港の分布は、三陸海岸北端に八戸、三陸海岸中南部に気仙沼、三陸海岸南部の・牡鹿半島の仙台湾側に石巻、仙台湾(松島湾)に塩釜となっている。沿岸漁業や養殖漁業では、ウニ、ワカメ(全国収穫量の約7割を占める)、カキ、ホタテ、ホヤなどが主要産物である。いくつかの漁港は、現在もマグロなどの遠洋漁業の基地として発達しており、捕鯨基地も存在する。なお、この海域は、宮城県塩竈市にある第二管区海上保安本部の管轄となっている。岩手県部分は主に陸中海岸国立公園に指定され、宮城県部分は南三陸金華山国定公園に指定されていた。なお、その後三陸復興国立公園として青森県部分から宮城県部分まで包括的に指定されている。南北に続く三陸海岸やその西側の北上山地は、元々は海底にあって、隆起・沈降・侵食などで造られた。そのため、元々海底にあった証拠でもある鍾乳洞や大理石など石灰岩地形が随所に見られる。景勝地のほとんどは、奇怪な石灰岩地形の白さと植物の緑、そして、コバルトブルーの澄んだ海と青い空という組み合わせである。また、所々にある砂浜の内、いくつかは鳴き砂の浜辺となっている。鳴き砂は汚れると音がしなくなるので、浜辺の清掃のみならず、海水が汚れないよう努力され、住民から大事にされている。そのため、普通の海水浴場とは利用法が異なるので注意が必要である。三陸海岸は古くから日本海溝付近を震源とする地震などで、これまでに津波による被害をしばしば受けている。このため、多くの漁港や沿岸の集落には高い防波堤や防潮扉などが設けられており、これまで多くの津波対策が施されてきた。1960年(昭和35年)のチリ地震の際には、地球の反対側にあるチリの地震によって発生した津波が約1日後に到達し、142名が亡くなった。この地震以外にも1700年のカスケード地震、1868年のアリカ地震、1877年(明治10年)のイキケ地震、2010年(平成22年)のマウレ地震などアメリカ大陸で大きな遠地地震がある度太平洋を越え、浸水や養殖の被害が起きている。以下の地震でも大津波によって、死者・行方不明者が多数となった。以下は県境を越えた広域連携の例。

出典:wikipedia

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