肥前国(ひぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。火国(ひのくに)、後の肥国(ひのくに)の分割によって7世紀末までに成立した。肥後国が『続日本紀』に初めて見える持統天皇10年(696年)までのどの時点かに、肥前国と肥後国との分割があったと推定される。 『肥前国風土記』は、全国で5つだけの、ほぼ完全な形で残る風土記の1つである。室町時代末期にポルトガル、スペインの宣教師が相次いで来訪してからは西洋の窓口の一つとなり、天正少年使節団を出すなどした。国府は、『色葉字類抄』によると、佐嘉郡にあった。現在の佐賀県佐賀市大和町惣座にあった。8世紀前半に造営され、そのまま移転せずに規模を変化させているが、10世紀に入ると急速に縮小していく。1975年(昭和50年)から1984年(昭和59年)までの発掘で政庁などの遺跡が発見された。易林本の『節用集』では、「小城郡に府」と記載がある。最も社格が高いのは田島坐神社であるが、一宮にはなっていない。一宮は中世以降、上記の2社が一宮を主張し並立した。二宮以下は不詳である。※ 矢印→の右側は近代(1896年(明治29年))以降の郡名及び市名。
出典:wikipedia
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