ジョーゼフ・ウォーレン・スティルウェル(Josepf Warren Stilwell, 1883年3月19日 - 1946年10月12日)は、アメリカ陸軍の軍人。第二次世界大戦中は中国雲南、北ビルマ戦線でルイス・マウントバッテンの下、対日作戦の指揮を執り援蒋ルートの確保に当たった。大胆な戦略家かつ辛辣な性格であり、「ビネガー・ジョー」のニックネームで知られた。第二次世界大戦でスティルウェルは、1942年に中国戦線を担当したが、この年から蒋介石は全く役に立たず、能力はあっても抗日戦に軍を使う気がないとレポートしていた。スティルウェルはビルマ・インドに拠点を移し、ビルマの援蒋ルートを遡って中国大陸に攻め入り、数百万の中国兵をアメリカの将校団が指揮することで中国大陸から日本を駆逐するという構想を持つようになる。その為に彼は蒋介石に対し、彼の元に中国陸軍の数個師団をよこし、彼に中国兵の訓練を任せるよう要求するのである。それにより、米式中国軍(米国式中国軍)が編成されている。しかし、この彼の構想は蒋介石の利害と正面から衝突し、二人の関係は悪化。最終的にスティルウェルは蒋介石にひどく嫌われて最後は解任されてしまう。蒋介石は軍隊の強化により政権への反旗の翻しを危惧した。自身の指揮下にある再建した20万の米国式中国軍は拉孟・騰越の戦いで北部ビルマで日本軍を壊滅に追い込んでいる。アメリカは欧州でもナチス・ドイツと戦っており大軍をアジアに振り向ける余裕はなかった。蒋介石の国内権力基盤は極めて脆弱だった。ルーズベルトとは正反対に、彼は中国国民党軍の腐敗と弱小ぶりを見抜いていた。大陸打通作戦の前年には、戦勝後には米英ソ中で構成される『四人の警察官構想』を検討しカイロ会談に出席したルーズベルトに、次に日本軍に攻勢されれば国民党は倒壊すると通告し、さらに中国本土からのアメリカ軍の日本空襲作戦は日本陸軍の猛烈な反撃を招くとして反対した。また1944年、大陸打通作戦の衡陽会戦に際しては夜も眠れず、2回も自殺を考えたという。息子の1人、ジョセフ・スティルウェル・ジュニアは陸軍将校として准将まで務めた。スティーヴン・スピルバーグの映画『1941』でロバート・スタックがスティルウェルを演じている。この中でスティルウェルはハリウッドなどを担当する防空部隊の司令官で、映画館で『ダンボ』(1941年公開)を観て涙を見せた後、ある決断を下している。日本公開当時のパンフレットによると、映画に感動して涙する件りはスティルウェルの回顧録にヒントを得たものという。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。