磐越西線(ばんえつさいせん)は、福島県郡山市の郡山駅から会津若松駅を経由して新潟県新潟市秋葉区の新津駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。歴史は古く当初、郡山駅 - 喜多方駅間は民間資本の岩越鉄道によって路線開設がなされた(「歴史」の節を参照)。会津若松駅 - 新津駅間には、「森と水とロマンの鉄道」という愛称が付けられている。磐越西線は、郡山駅から会津若松駅までの東側を中心に関東方面、仙台方面などと福島県会津地方を結ぶ観光路線の役割を果たしており、会津若松から新津駅までの西側も蒸気機関車の牽引による列車などが運行されている。また、路線全区間で、福島県・新潟県それぞれの地域輸送も担っている。定期旅客列車は、郡山駅 - 喜多方駅間の電化区間では、普通列車および快速列車が近郊形電車で運転されており、会津若松駅より西側の区間では気動車で主に運転されている。臨時列車として、蒸気機関車牽引による列車「SLばんえつ物語」(新潟駅 - 会津若松駅間)などが運転されている。かつては広田駅や塩川駅からセメント輸送のための定期貨物列車が運行されていたが、2007年3月18日のダイヤ改正にて廃止された。ただし、現在も不定期で甲種車両鉄道輸送列車が運転されることがあるほか、後述のように災害発生時に貨物列車が当線を迂回して運転されることがある。当線の両端部は旅客営業規則の定める大都市近郊区間に指定されており、郡山駅 - 喜多方駅間は「仙台近郊区間」、五泉駅 - 新津駅間は「新潟近郊区間」に含まれている。いずれもIC乗車カード「Suica」の仙台エリアおよび新潟エリアに含まれ、仙台エリアでは郡山駅と磐梯熱海駅・猪苗代駅・会津若松駅・喜多方駅の5駅のみにおいて、新潟エリアでは区間内全駅においてSuica及び相互利用を実施しているICカードが利用できる。ただし仙台エリアについては、前掲5駅以外の区間内各駅ではサービスを行っていない。また仙台エリアと新潟エリア相互間でのICカードの利用は不可能となっている。郡山駅 - 喜多方駅間がJR東日本仙台支社、山都駅 - 新津駅間が同社新潟支社の管轄となっている。郡山駅は、東北本線、東北新幹線、磐越東線、水郡線(東北本線に乗り入れ)との乗り換え駅で、周辺地域の中心駅の役割を果たしている。郡山駅を出ると、少し東北本線と並行した後、西向きのカーブで進路を変える。沿線は、商業施設や住宅などが多い。郡山駅から次の喜久田駅までの駅間は7.9 kmと、中規模都市の周辺としては駅間距離が長い。このため両駅間に、2017年春に郡山富田駅を新たに設けることが決まった。喜久田駅、安子ケ島駅付近は、比較的上り下りが少なく、耕作地帯や、住宅地の間を通る区間が多い。次第に前方に見える山が近づいてくると磐梯熱海駅である。磐梯熱海駅は、磐梯熱海温泉街の最寄り駅で、周辺にも温泉施設などが多く見られる。磐梯熱海駅を出発すると、登り区間が多くなる。そのまましばらく登っていくと、かつてスイッチバックがあった中山宿駅である。上りの途中に駅があり、駅のすぐ西側はトンネルである。中山宿駅を出発してさらに登っていくと、沼上トンネルがある。このトンネルを抜けると電車は会津地方に入る。沼上信号場を過ぎ、上戸駅に着く。上戸駅から先の区間の一部では、線路は猪苗代湖に接近し、関都駅との間には、臨時駅の猪苗代湖畔駅がある。川桁駅付近から、列車は猪苗代盆地の中を走る。また、ここから、翁島駅付近までは直線区間が多く、列車は盆地の中を快走する。猪苗代駅は、磐梯高原などへの玄関口として、多くの観光客が利用している。翁島駅から先は、曲線区間が続く。磐梯町駅との間は約10 kmと長いが、ほぼ中間に更科信号場がある。磐梯町駅を出ると、電車はさらに下り、東長原駅を過ぎて、進路を南向きに変え、広田駅に着く。広田駅からは、会津盆地の中を走り、喜多方方面からの線路が西から見えてくると、やがて列車は会津若松駅に着く。会津若松駅の構内が郡山・新津両方面から只見線に向かって線路が続く配線となっているため、同駅でスイッチバックが行われ進行方向が変わる。また、新津方面のキロポストは会津若松駅からの距離が示されている。磐越西線は会津若松駅をスイッチバックして新津駅方面へ向かうがすぐに一面田園が広がる。電化区間は堂島・笈川・塩川・姥堂・会津豊川そして喜多方駅まで続くが、塩川・喜多方以外は停留所であり一日に停車するのは上下4 - 5本程度と少ない。笈川駅は会津盆地のヘソともいうべき古刹勝常寺も近い。目と鼻の先日橋川の傍らにあるのが塩川駅で暖簾(のれん)とナマズの街の玄関である。喜多方市は喜多方ラーメン・長床(新宮熊野神社)で有名であり峠を越えれば、線路は阿賀川沿いに走り明治時代の遺産一ノ戸川橋梁を渡り、蕎麦で有名な山都駅になる。次が化石の街「高郷」の玄関・荻野駅で、塩川駅からここまでは喜多方市に含まれている。尾登をすぎると会津ころり三観音の一つ鳥追観音と大山祇神社の最寄り野沢駅となる。次が名勝「銚子の口」がある上野尻駅をすぎると徳沢駅で飯豊山弥平四郎登山口がある。新潟県境に接していてすぐ阿賀町にはいると、豊美・日出谷・鹿瀬・津川とつづく。日出谷駅 - 鹿瀬駅間では、日本の改軌論争に関連する平瀬トンネルと、落下式架け替え工法が使われたことで知られる阿賀野川深戸橋梁を通る。津川駅は阿賀町役場も近く古くから舟運で栄え「狐の嫁入り行列」で有名な街でもある。さらに三川・五十島・東下条・咲花駅と続くが咲花駅前には今も咲花温泉の湯花の香りが漂う。さらに馬下・猿和田・五泉駅と続く五泉市は切花やニットなど繊維産業の街であるが、1970年代以降は新潟市のベッドタウンとして住宅地開発も盛んである。さらに線路は西へ北五泉・新関・東新津と続き終点の新津駅へと至るが、半数近くの列車は信越本線・新潟駅まで乗り入れている。基本的に、会津若松駅を境に運転系統が分かれている。列車の大半は郡山駅 - 会津若松駅間の運転であるが、一部は喜多方駅まで直通する。この区間は交流電化区間であり、2015年3月現在、仙台車両センター所属の719系および、臨時列車で485系の各電車が使用されている。当区間の使用車両は郡山総合車両センターの会津若松派出所に常駐する。普通列車は、2両・4両・6両で運転されており、堂島駅・笈川駅・姥堂駅・会津豊川駅は通過する列車がある。快速列車は、磐梯熱海駅・猪苗代駅・磐梯町駅・会津若松駅・塩川駅に停車するが、喜久田駅・川桁駅・翁島駅・東長原駅・広田駅にも停車する列車がある。2015年4月25日からの土休日には普通列車・快速列車のうち各1往復に観光列車「フルーティアふくしま」を連結して運転することがある。なお、快速列車には指定席を連結した「あいづライナー」が2007年3月18日から2015年3月13日まで郡山駅 - 会津若松駅間で3往復運転されていた。停車駅は、喜久田駅・磐梯熱海駅・猪苗代駅・磐梯町駅であるが、喜久田駅には3・4号のみ停車していた。485系6両が使用されていたが、予備車が存在しないため、定期検査時や特急「あいづ」運転時は583系または他車両センター485系での代走となった。2015年3月14日のダイヤ改正で車両の老朽化により廃止され、719系4両編成による愛称無しの快速列車に変更された。ただし同年6月まで485系により指定席を設定した快速「あいづ」として運転される日があった。このほか、観光シーズンなどには臨時列車として以下の列車が運転された。2007年に仙台地区へE721系0番台が投入され455系・457系を置き換えたが、当路線ではその玉突き転配で同年7月に455系・457系の運用がすべて719系へ置き換えられた。なお、719系には455系・457系から引き続き帯が黒色のあかべぇ編成 (H-10 - 15) も在籍している。719系が投入された後も、2007年9月2日に2か月ぶりに455系(S-2・6編成)が入線し、臨時列車「さよなら455系あかべぇ」号に使用された。その8日後の9月10日から運用の都合で455系の運用が再び復活したが、あかべぇ編成ではなく東北色の車両が使用された。この455系は2008年3月14日まで使用された。2003年10月4日からは、会津鉄道キハ8500系を使用した快速「AIZUマウントエクスプレス」が会津若松駅 - 喜多方駅間に乗り入れを開始した。キハ8500系気動車は2010年5月30日をもって運用を終了し、現在は後継車両であるAT-700形・AT-750形車両が使用されている。この区間には、1993年11月30日まで特急「あいづ」が上野駅 - 会津若松駅間で運転されていた。翌12月1日以降は東北新幹線接続列車として特急「ビバあいづ」( - 2002年11月30日)、特急「あいづ」(2002年12月1日 - 2003年9月30日)、快速「あいづライナー」(2003年10月1日 - 2004年10月15日および2007年3月18日 - 2015年3月13日)をそれぞれ名乗り、郡山駅 - 会津若松駅・喜多方駅間で運転されていた。特急「あいづ」は廃止後も2001年に上野駅 - 会津若松駅間で、2005年に行われた会津デスティネーションキャンペーン開催時には新宿駅 - 喜多方駅間で運転されるなど、しばしば復活運転が行われている(これまで行われた復活運転は「あいづ」を参照)。2006年以降は、毎年夏季に臨時列車として上野駅 - 喜多方駅間で運転されている。また、上野からの急行列車として1984年1月31日まで運転されていた「ばんだい」は、その後2004年10月15日まで郡山駅 - 会津若松駅・喜多方駅間運転の快速列車の愛称として使われた。この快速列車は愛称がなくなったが、引き続き同区間で運転中である。喜多方駅 - 新津駅間が非電化であるため、会津若松駅 - 喜多方駅間の一部の列車を除き、気動車によって運転されている。また、山都駅から西側は新潟支社の阿賀野川ライン営業所(五泉駅に併設)が管轄している。普通列車は、新津運輸区所属のキハE120形・キハ110系やキハ40・47・48形気動車を使用して2 - 5両で運転されている。会津若松駅 - 新津駅間を直通運転する列車(2 - 4時間に1本程度)のほか、会津若松駅 - 野沢駅間と津川駅・馬下駅・五泉駅 - 新津駅間の区間列車も設定されている。信越本線の新津駅 - 新潟駅間に乗り入れる列車もあり、新潟近郊の馬下駅・五泉駅 - 新津駅は1時間あたり1本程度で、平日・土曜日朝には新津経由で新潟行きが約10 - 20分間隔で設定されている。なお、一部列車は堂島駅・笈川駅・姥堂駅・会津豊川駅を通過する。また、会津若松駅 - 喜多方駅・野沢駅間の一部列車には郡山総合車両センター会津若松常駐(只見線用)のキハ48形も使用される。その他、速達列車として会津若松駅 - 新潟駅間にキハE120形・キハ110系3両を使用した快速「あがの」が1往復設定されている。なお、馬下駅・五泉駅 - 新津駅・新潟駅間の一部の区間列車ではキハ110系やキハE120形を使用したワンマン運転が行われている。上記のほか、観光列車として蒸気機関車C57 180牽引の快速「SLばんえつ物語」が会津若松駅 - 新潟駅間において4月 - 11月の土曜・休日を中心に運転されている。運転日数は少ないが、郡山駅 - 会津若松駅間にも蒸気機関車牽引列車が定期的に運転されている。2004年10月23日に発生した新潟県中越地震では、上越線が不通になったため、郡山経由での迂回ルートとして客貨ともに臨時列車が運行された。旅客の臨時列車は、新潟駅 - 会津若松駅の直通快速が1往復と、所定では野沢駅止まりの各駅停車を津川駅まで延長運転し、同駅発着の列車に接続をとる形で行われたが、平日の乗車率はそれほど良くないようで、11月中旬には直通快速は運休の日が多くなっていた。また、これらの列車を運転するために秋田支社・盛岡支社から応援車両としてキハ40形が来ていたため、他線区の塗装と本来の新潟支社の塗装の混結編成を見ることができた。貨物の臨時列車は、11月12日より運転が開始された。新潟駅 - 東京駅間の紙輸送を迂回しているもので、1日1往復をDD51形(会津若松以西)がワム80000形380000番台貨車6 - 14両を牽引する形で行われていた。この列車が運転されているダイヤは本来セメント輸送列車のためのものであったが、そのセメント列車運転日にはセメント列車をSLばんえつ物語のダイヤで運転する措置がとられた(鉄道ファンからはセメント物語号と呼ばれていた)。2011年3月11日に発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)によって、郡山駅 - 津川駅が運転見合わせとなったが、3月26日に全線で運転を再開した。この地震による被災地での燃料不足を受けて、JR貨物はJX日鉱日石エネルギー根岸製油所にて精製した石油製品を輸送する臨時石油輸送列車を根岸駅から郡山駅へ運行することを決め、3月25日から根岸駅発にて運転を開始。東北本線が不通であるため、高崎線 - 上越線 - 信越本線 - 当線経由で迂回するルートで運行された。1日1往復(4月からは2往復)の運行で、新潟まで電気機関車が牽引してきたタキ1000形貨車20両を、急勾配のある磐越西線内は貨車を10両ずつに分割してDD51形が重連で牽引する形で行われた。それでも悪条件が重なり急勾配で立ち往生したため、JR東日本のDE10形が後方から押し上げて通過した。なお、かつて当線の貨物列車を牽引していた東新潟機関区のDD51形は2010年3月13日のダイヤ改正で運用を失い、他線区へ転出していたため、門司機関区や吹田機関区などから機関車を借りて運行された。貸し出されたDD51形の中には、東新潟機関区へ、いわば「里帰り」となった車両もあった。この臨時石油輸送列車は4月16日まで運転され、4月17日からは東北本線黒磯駅 - 安積永盛駅間の復旧に伴い東北本線経由に変更された。このことについては、震災から4年後の2015年3月15日に日本放送協会(NHK)のNHK総合テレビジョンで放送された「明日へ 支えあおう」で取り上げられた。日本鉄道の開通に伴い、郡山駅と新潟駅を会津駅経由で結ぶ鉄道の建設運動が起こった。1892年に公布された鉄道敷設法に「新潟県下新津ヨリ福島県下若松ヲ経テ白河、本宮近傍ニ至ル鉄道」として規定されたが、1896年1月20日に郡山駅 - 若松駅 - 新津駅を結ぶ鉄道を建設するため、岩越鉄道(がんえつてつどう)が設立された。1898年に郡山駅 - 中山宿駅間が開業し、翌1899年には若松駅に、1904年には喜多方駅まで開業した。1906年には、鉄道国有法により岩越鉄道は買収・国有化され、官設鉄道の岩越線(がんえつせん)となった。喜多方以西は官設線として延長され、新津側からも信越線(信越本線)の支線として順次延長された。1914年には野沢駅 - 津川駅間が開業して全通し、郡山駅 - 新津駅間が岩越線となったが、1917年に平郡線が全通して磐越東線と改称されたのと同時に磐越西線と改称された。なお、同線が全通した1914年から清水トンネルの開通で上越線が全通した1931年までは、それまで東京から新潟へ向かう唯一のルートであった高崎線・信越本線に加えて同区間の第2ルートとされたこともあった。東北本線・磐越西線経由のルートには碓氷峠のような難所がなかったこともあり、1930年10月のダイヤ改正時には上野駅から信越本線経由で新潟駅へ向かう最速の下り夜行急行列車が全線に11時間6分、夜行普通列車だと13時間56分を要していたのに対し、同区間を磐越西線経由で結ぶ夜行普通列車は11時間58分で走破していた。上越線全通以降も、会津地方と福島県中通り、さらには首都圏を結ぶ重要路線であり、そのため1967年には郡山駅 - 喜多方駅間が交流電化された。このように、一定の利用客があったことから、1980年の国鉄再建法に基づく路線の区分では幹線となった。便宜上、新津側の列車が乗り入れる信越本線新潟駅までの区間を記載。新津駅 - 新潟駅間については、磐越西線直通列車についてのみ述べる。
出典:wikipedia
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