『遠くへ行きたい』(とおくへいきたい)は、読売テレビを制作局として日本テレビ系列で放送されている紀行番組。1970年(昭和45年)10月4日放送開始の長寿番組である。また、日本の全てのテレビ局でレギュラー放送されている全ての紀行番組の中で最長寿番組である(一部地域のみ字幕放送)。スポンサードネットの対象が基幹系列局に限定されているためか同時ネットする局は少なく(北海道・STVは基幹系列局にもかかわらず、ノンスポンサーでかつ同時ネットや遅れネット、不定期放送を繰り返している)、系列局により毎週放送でも時差で放送する局、不定期で放送する局、未放送の局とそれぞれ分かれている。(#ネットワーク放送局)一時期、110度CS放送「スカパー!110」(現在のスカパー!)の○○九ちゃん&サイエンス(後の日テレプラス&サイエンス、現在の日テレプラス ドラマ・アニメ・音楽ライブ)でも過去放送分が再放送されていたが2005年4月より日テレプラス&サイエンスにてCSでの放送が再び開始され現在は終了。その後食と旅のフーディーズTVにて再放送中。2014年2月8日(土曜日)には13:30から1時間スペシャルで『遠くへ行きたい世界遺産スペシャル』が日本テレビ系列全局ネットで放送された。制作はテレビマンユニオンが担当した。当時の日本国有鉄道(国鉄、現・JRグループ)のキャンペーン『ディスカバー・ジャパン』の一環として1970年10月4日に、永六輔の単独出演で放送を開始。開始当初のタイトルは「六輔さすらいの旅・遠くへ行きたい」。放送時間は毎週日曜日の午後10時30分 - 11時00分(1976年3月28日まで)だった。旅番組で有数の長寿を誇っており、2010年10月に放送開始40周年を迎え、また同年3月28日放送分で放送2000回を迎えた。番組の内容は、有名芸能人・文化人が、日本各地の風土、歴史、食、温泉宿を訪ね、堪能するというもの。初期の「六輔さすらいの旅」時代は永をレギュラーに据えた紀行番組であったが、1971年に永が観光、グルメ要素を加えたいスタッフとの対立により降板した後(タイトルから「六輔さすらいの旅」が消える)はレギュラー出演者が設けられず、伊丹十三や藤田弓子など数多くの俳優や女優及び著名人(タレント)が週替わりで出演し、回によっては有名監督が撮影の指揮を取るという現在の形となった(前述の通り降板した永も、週替わりの出演者の一人として何度か出演している)。旅の行程について説明するナレーションもレポーターが行う。同系列の紀行番組「ぶらり途中下車の旅」と違い、訪れた場所の最寄り駅テロップは出てこない。国鉄民営化直前の1986年には、永が国鉄分割民営化に反対する意見広告(毎日新聞掲載)に写真入りでコメントを出したため、番組から外されるという出来事があった。そのため“永六輔さん「遠くへ行く」”という皮肉な新聞記事になった。ちなみに主題歌である「遠くへ行きたい」は、永が作詞した。尺八バージョンが永のラジオ番組『誰かとどこかで』(TBSラジオ)でも使用されていた。永が2016年7月7日に亡くなった(享年82)ことを受けて、同7月17日(日テレ・ytv基準)の放送回は、当初予定の内容を変更して、番組初期のレギュラーレポーター(「六輔のさすらいの旅」)時代を含め通算46年・82回にわたって出演した旅の行程の中から抜粋して、「永六輔の七転八倒!旅語録」と題した追悼特番(ナレーター・徳光和夫)を放送した。なお永が最後にレポーターとして出演したのは2013年7月21日(2165回)と同8月11日(2168回)の前後編で放送された「笑う京都に!福来る」と題された京都府への取材で、永にとっては2006年以来7年ぶりのレポーターとしての出演だったという。この時は既にパーキンソン病を患っており、自力での歩行が困難で車いす介助が必要だったため、永の孫(当時大学生)も取材に同行した。番組最多出演者は俳優の渡辺文雄。2004年8月4日に肝臓がんのため亡くなり、同年6月6日放送分(山形県天童市編)が最後の出演となった。渡辺は1972年7月16日放送分の第93回(三重県上野市<現在の伊賀市>)で初登場、364回出演し、番組に多大な貢献をした。また、1982年4月から1989年9月24日までは日曜朝8時30分からの放送であったが、同年10月の『中村敦夫のザ・サンデー』(後の『THE・サンデー』→『TheサンデーNEXT』)の開始に伴い、放送時間が日曜朝7時30分に変更された。2009年4月から『ヤッターマン』が月曜19時台後半からの移動に伴い、7時台は読売テレビ制作枠が存在するようになった。これにより『ヤッターマン』の直後にこの番組を放送する事になるが、一部地域では『ヤッターマン』の枠移動による編成で遅れネットとなった(後述)。なお、次回予告でのサブタイトル内容表示は読売テレビ送出マスターの提供クレジットテロップから出している(提供スポンサーのみ「カットイン〜カットアウト」だが、それ以外の表示は全て「フェードイン〜フェードアウト」)ため、同時ネット局では内容を確認できるが、時差ネット局では表示されていない局もあり、その場合は撮影映像のみしか流れない(遅れネット時代の広島テレビのように表示されている局もある。この場合、サブタイトルの後フェードアウトしているので、送出マスターの提供テロップ入りのハイビジョン素材を録画して流用した物と思われる。そのためか、同局ではアナログ4:3放送の場合、画面左下の「HVハイビジョン番組・字幕放送」テロップが3分の2ほど欠けて表示された。その後同局では同時ネットとなりアナログとデジタルの映像は別々のものになりテロップの欠けも解消されたがエンディングは提供ベースの直前でフェードアウトしてCMを入れた後、自局出しのブルーバックEDに差し替えるため、未だにエンディングが見られない)。不定期放送の場合は次回予告も放送されない。長らく日曜7:30 - 8:00での放送が続いてきたが、2013年4月から、同年3月まで当番組の直後に放送していた『シューイチ』を30分繰り上げ・拡大することとなり、当番組は2013年4月7日以降、放送枠を移動して継続。それに伴い関東・関西の同時ネットが解消となりローカル編成となる。なお1978年以降、毎年8月に放送される大型特別番組『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』編成の際は休止される。正月三が日の場合も原則休止されるが、暦によってはまれに放送されることがあるも、その場合であっても、箱根駅伝中継の関係から制作局では繰り上げ放送となる(2016年1月3日は制作局では通常より30分繰り上げとなり、結果的にキー局と臨時同時ネットとなった)。番組のテーマ曲「遠くへ行きたい」(作詞:永六輔、作曲:中村八大)は、元々は1962年に『夢であいましょう』(NHK総合テレビ)の「今月の歌」としてジェリー藤尾が歌った曲だったが、この番組ではデューク・エイセスが歌った。その後、時代とともにさまざまなジャンルの歌手に歌い継がれている。なお、尺八で演奏されたインストバージョンもあり、こちらも番宣CMや永のラジオ番組『誰かとどこかで』(TBSラジオ)等で使用されている。2010年1月から10月までは「番組40周年イヤー」と称し、歴代のオープニングを順不同(番組冒頭の表紙画とともに月替り)で放送した。2014年4月からは歴代のオープニングテーマ曲を週替わりで使用しているほか、本編中にも流れることがある(時には渥美清、尾崎紀世彦、比嘉栄昇、そしてジェリー藤尾など、テーマ曲に使われなかった人物が歌ったバージョンが流れることもある)。(2016年10月現在)
出典:wikipedia
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