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中山茶臼山古墳

中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすやまこふん)は、岡山県岡山市北区吉備津にある古墳。形状は前方後円墳。実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)」として第7代孝霊天皇皇子の大吉備津彦命(吉備津彦命)の墓に治定されている。岡山市街地から西方、独立丘陵「吉備の中山」の山上に築造された大型前方後円墳である。現在までに墳丘を極めて良好に遺存する。現在は宮内庁の治定墓として同庁の管理下にあるが、これまでに2008年度(平成20年度)の宮内庁書陵部による墳丘測量調査などが実施されている。墳形は前方部が開く「バチ形」の前方後円形で、前方部を南方に向ける。墳丘は2段築成。墳丘表面では葺石が検出されているほか、出土埴輪の存在から埴輪列の存在が推定される。その他の詳細は明らかでない。この中山茶臼山古墳は、古墳時代前期(3世紀後半から4世紀頃)の築造と推定されるが、資料に欠け具体的な築造時期は明らかでない。なお、吉備の中山は後世の備前国・備中国の境界になるが、山上に位置する本古墳の古墳域はその境界線上にあたる。またこの吉備の中山では、初期古墳の矢藤治山古墳や、前期古墳の尾上車山古墳(国の史跡)の築造も知られている。古墳の規模は次の通り(値は宮内庁の測量図に基づく推定復元値)。かつては墳丘長に関して約120メートルという数字が知られたが、2008年度(平成20年度)の宮内庁による測量に基づけば上記の値に修正される。墳丘の築造企画については、行燈山古墳(奈良県天理市、伝崇神天皇陵)の2分の1相似形とする説がある。中山茶臼山古墳の実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁では第7代孝霊天皇皇子の大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと、吉備津彦命)の墓に治定している。この大吉備津彦命について、『古事記』では本の名を「比古伊佐勢理毘古命(ひこいさせりひこのみこと)」、亦の名を「大吉備津日子命」とし、弟の若日子建吉備津彦命とともに吉備国を平定したとする。また『日本書紀』では、本の名を「彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)」、亦の名を「吉備津彦命」とし、四道将軍の1人として西道に派遣されて平定したとする。両書には大吉備津彦命の墓についての記述はないが、1874年(明治7年)に本古墳がその墓に治定され、それが現在まで踏襲されている。なお吉備の中山の山麓では、大吉備津彦命を祭神とする吉備津神社(岡山市北区吉備津、備中国一宮)、吉備津彦神社(岡山市北区一宮、備前国一宮)の鎮座が知られる。特に前者の吉備津神社は国史にも「吉備津彦命神」として見える霊廟になり、その社伝で大吉備津彦命は吉備の中山の麓に茅葺宮を建てて住み、281歳で亡くなって山頂に葬られたと伝えている。

出典:wikipedia

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