坂本 冬美(さかもと ふゆみ、本名同じ、1967年3月30日 - )は、日本の演歌歌手、女優。血液型O型。1967年3月30日に和歌山県西牟婁郡上富田町に生まれる。3月生まれで、生まれた季節は春であるのに、「冬美」という名前をつけたのは、生まれた時に肌が雪の様に白かった事から、叔父がつけた。1979年、上富田町立朝来(あっそ)小学校を卒業する。中学生時代の作文で、将来の夢は演歌歌手であることを記していた。当時は石川さゆりのファンだった。中学・高校時代はソフトボール部に所属。ポジションはキャッチャーで、チームのキャプテンも務めた。この時、よく野次る選手だったという。ソフトで県大会に出場した時には1回戦負けを喫したこともあった。1982年に上富田町立上富田(かみとんだ)中学校を卒業する。1985年に和歌山県立熊野高等学校を卒業する。高校卒業後は大阪市内のあるレストランのオーナー会社で経理担当として勤務するも約4か月で退社して和歌山へ戻り、和歌山放送のディレクターの紹介で梅干し会社「株式会社ウメタ」に入社。同社で勤務する傍ら、演歌歌手を目指して歌の練習のためカラオケ教室へ通っていた。放送大学教養学部入学。1986年、NHKの『勝ち抜き歌謡天国』(和歌山大会)で名人となり、「関西演歌大賞カラオケコンクール」でも優勝。『勝ち抜き歌謡天国』で歌唱指導を担当していた猪俣公章の勧めで上京し、同年4月から11月まで猪俣の内弟子を務める。マルシアは坂本の妹弟子にあたり現在でもとても仲が良い。本名が芸名になり、デビュー直前になったところで、師匠の猪俣は冬美の「冬」の字を寒い、寂れたようなイメージだと嫌って「冬美を『ふゆみ』と平仮名の芸名にして欲しい」と主張したが、その時既各種印刷物など準備が進んでおり、それらを全部刷り直すのに資金も手間もかかるなどの理由からスタッフは猪俣を説得し直して、ようやく折れて「坂本冬美」としてデビューすることとなった。1987年に「あばれ太鼓」でデビュー。同曲は80万枚を超える売上を記録。初期は同曲の他、「祝い酒」「男の情話」「男惚れ」など男歌が中心だった。本人は猪俣に「この歌は売れませんね」と言ってしまい、大目玉をくらった。1991年に細野晴臣・忌野清志郎とHISを結成。アルバム『日本の人』発売。忌野とはそれ以前にもRCサクセションのアルバム『COVERS』に参加するなど、接点があった。2005年に発売された、NHKラジオ第1『旅するラジオ こんにちは!80ちゃんです』のテーマ曲「Oh, My Love」も、当初HISのユニットで発売予定だったが、坂本冬美個人名での発売となった。芸術選奨新人賞大衆芸能舞踊部門を受賞。1993年の第44回NHK紅白歌合戦に出場した際、アニメ『美少女戦士セーラームーン』の主題歌「ムーンライト伝説」を森口博子、西田ひかると共に、セーラーサターンのコスプレをして歌った。2002年3月に持病の膵臓炎の治療専念など諸事情により、歌手業を含めた一切の芸能活動を休止する。休業前に自宅を猪俣の妻へ売却して、その後和歌山の実家へ一年間休養を兼ねて戻った。実家から全国各地へ旅行や温泉へ行ったりしてのんびりと一年間休養できて、旅行先などでは全く気づかれなかったと復帰直後に出演した『徹子の部屋』で語っていた。なお、坂本の活動休止期間中には都内の自宅売却などの身辺整理を行ってから故郷の和歌山へ戻ったために重病説や死亡説、さらに隠し子を産んだ説まで、根拠の無い様々な噂話がマスコミの間で飛び交っていた。歌手復帰のきっかけとなったのは、実家のテレビで視た二葉百合子の65周年リサイタルで「岸壁の母」を聴いた時に、坂本自身大変感銘を受けた事からだった。坂本は「二葉先生のような強い喉と精神力を作りたい」と事前に手紙を送った上で、直接二葉の自宅を訪ねた。坂本は「歌に対しての自信を完全に失い、人前で歌うのが怖くなってしまったのです。引退しようとも本気で考えていました」等と述べた後、二葉は「あなたも『歌の壁』にぶつかったのね。その歌の壁に気付いたというのは、あなたが成長している証拠で、とても素晴らしいことなの。私だって今迄何回も歌の壁にぶつかって、その度に乗り越えて来たからこそ今があるのよ」と、激励の言葉を掛けて頂いたという。その後2002年11月から二葉の元でレッスンを始め、完全復活へとつなげた。休業から丁度1年後の2003年4月1日、『NHK歌謡コンサート』へ生出演を果たし、芸能活動の再開を宣言。同年、紅白歌合戦にも返り咲きを決め、デビュー曲「あばれ太鼓」を歌唱するが、曲の終盤で思わず涙声となる場面があった。2006年第3回ザ・ビューティー・ウィーク・アワード「着物、アップ髪が最も似合う人」受賞。2008年10月、「和歌山県ふるさと大使」の第一号となった。家族構成は母、姉、弟で父は故人である。現在も私生活では独身を通す。坂本と同じ女性演歌歌手の伍代夏子、藤あや子とは、公私共に大変仲が良いとの事。高校卒業後、地元の梅干し会社株式会社ウメタに就職し、梅干しの塩分等の検査に従事していた。。また、梅干の味に関しては非常にうるさいという。本人曰く「(工場に勤務していたからでは無く)生まれ育った紀州の風土によるもの」と説明している。本人は紀州南高梅しか食べず、それ以外の梅干は一切食べないと公言している。この様に、故郷和歌山に対する郷土愛は非常に強く、和歌山県にもそれが認められた。コンサートグッズでも、薄塩、しそ、はちみつの3種類を当日和歌山より直送でコンサート会場に送ってもらい販売している。
出典:wikipedia
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