公共株式会社S・V・イリユーシン記念航空複合体( )は、ロシア連邦の航空機メーカーである。セルゲイ・イリユーシン(1894年 - 1977年)によって創設された。ソ連時代には同国を代表する航空機設計局のひとつで、S・V・イリユーシン記念試作設計局」( )と称した。そのため、日本語文献ではイリューシン設計局の通称で知られていた。旧称は公開株式会社S・V・イリユーシン記念航空複合体()で、2014年の法改正を受けて公開株式会社から公共株式会社に移行し、現在の名称になっている。「イリユーシン」は、日本語文献では慣例的に「イリューシン」と書かれるが、ロシア語では「」なので「イリユーシン」となる。この姓が「イリューシン」すなわち「」となるのはウクライナ語である。ロシア語で「/イリューシン」といった場合はまったく別の姓になる。当設計局製の機体に付けられているIlという接頭辞は、大文字の「I」と小文字の「l」が同じような表記になってしまうので、文献では「l」を筆記体にしたIℓといった表記にする事が多い。なお、ILとする場合もあるが、本来のロシア語ではと2文字目は小文字で表されることに注意が必要である。イリューシン設計局は、ソ連時代の1933年に設立された。開設当初は意欲的にさまざまな機種の製作に取り組み、その範囲は戦闘機、爆撃機、輸送機に及んだ。各種研究機はソ連の航空機技術の発展に大きく寄与した。実用化された中でもっとも重要な機種といえるのがDB-3で、この機体は赤軍の主力中型爆撃機として大祖国戦争で使用された。その改良型のIl-4は、開戦時のソ連においてもっとも近代的な航空機であると言われた。そのほか、第二次世界大戦時には対地攻撃機(シュトゥルモヴィーク)Il-2が赤軍の勝利に大きな貢献をした。非常に多くの数が製造されたこの重シュトゥルモヴィークは、ドイツ軍の戦車を大量に破壊し、枢軸国軍のロシアへの侵攻に歯止めをかけた。戦後は専ら旅客機タイプの航空機の設計を行い、Il-14やIl-18、Il-62などはTu-134やTu-154と並んでアエロフロートの代表的旅客機であった。また、Il-76はソ連後期の主力輸送機となり、世界中の軍や民間会社で多数が運用されている。また、Il-76からはさまざまな特殊用途向けの機体が開発され、その中でもIl-78はロシア空軍で唯一の専用空中給油機として重要な位置にある。また、ベリエフ設計局の開発した早期警戒管制機A-50も、機体はIl-76がもとになっている。イリューシン設計局の航空機は主としてロシアのヴォロネジやウズベキスタンのタシュケントの航空機工場で生産が行われていた。ソ連崩壊後、イリューシンは「S・V・イリューシン記念航空複合体」となって従来設計局の下で航空機の製造を行ってきたVASOとともに「イリューシン会社」を設立し、株式保有率の関係からVASOの強い影響下に置かれることとなった。また、イリューシンの設計した機体の製造はボロネジのVASO()、タシュケントのTAPOiCh()に加え、航空産業統合の一環としてRSK MiGのルホヴィツキイ航空機組立試験総合(LAPIK)でも行われている。LAPIKでは、Il-103の製造が行われている。2012年以降、ロシアとウズベキスタンとの関係悪化、生産された機体の利益分配をめぐる論争などの問題から、タシュケント工場で行っていた生産分についてはウリヤノフスクのに移管されている。イリューシンには大規模な組織改変を行う計画があり、第1段階として、2015年までにミヤシーシェフといった設計局を統合、第2段階として、2017年までにアヴィアスタル-SPとVASOを統合するとされる。この第一段階として2014年7月3日、取締役会においてミヤシーシェフとの融合が決定されたことが発表された。両社は統一航空機製造会社の輸送機におけるビジネスユニットを形成するために協力するという。イリューシンは、ロシア空軍に輸送機などを、アエロフロート航空などの旧共産圏の国々を中心とした航空会社へ旅客機を供給している。2014年現在の社長はヴィークトル・リヴァーノフ()で、主任技師はゲンリフ・ノヴォジロフ()である。"※斜体()内はNATOコードネーム" "117258
出典:wikipedia
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