押小路家(おしこうじけ、おしのこうじけ)押小路家は、羽林家の家格を有する公家。寛文年間(1661年 - 1673年)、三条西公勝の次男公音が創設した。押小路の家名は、居住地名を由来とする。家禄130石。家職を歌道とする三条西家の分家だが、漢詩の家柄として知られた。維新後、公亮に子爵が叙せられた。押小路家は、朝廷に仕えた地下の官人。室町時代後期から押小路を名乗った。家職は明経道。大外記(太政官の主典(さかん、四等官の第4))を世襲し、局務(きょくむ)と呼ばれた。明経博士となるものを輩出し、後には掃部頭(かもんのかみ、掃部寮の長官(かみ)、四等官の第1)、造酒正(みきのかみ、造酒司の長官)を兼任した。家禄54石。地下家だったが、江戸時代後期の師資・師徳は従三位に叙されている。明治維新後に堂上家に准じるとして特に華族に列し、明治17年(1884年)の華族令で師成が男爵に叙爵された。分家に同じく地下家の志水家と山口家がある。
出典:wikipedia
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