武蔵川部屋(むさしがわべや)は、日本相撲協会に所属している出羽海一門の相撲部屋。1980年11月場所中に現役を引退して、以降は出羽海部屋の部屋付き親方となっていた年寄・14代武蔵川(元横綱・三重ノ海)が、1981年8月に出羽海部屋から分家独立する形で武蔵川部屋を創設した。5代出羽ノ海(元横綱・常陸山)の「不許分家独立」の不文律により長年にわたり分家独立を認めていなかった出羽海部屋からは、1919年に当時まだ現役力士であった横綱・栃木山が5代出羽ノ海からの許可を受けて春日野部屋を創設して以来、実に62年ぶりの円満独立となった。14代武蔵川はハワイ出身の横綱・武蔵丸のほか、大学相撲部出身者の勧誘を積極的に行い、出島・武双山・雅山の3大関など数多くの関取を育て上げ、一時期は角界最多数の関取を擁して一時代を築いた。2010年9月30日に14代武蔵川は部屋の師匠の座を武蔵川部屋の部屋付き親方である18代藤島(元大関・武双山)へ禅譲した。部屋継承にあたっては武蔵川と藤島の年寄名跡は交換せずに、武蔵川部屋から藤島部屋へと部屋の名称を変更し、14代武蔵川は藤島部屋の部屋付き親方となった。その後、藤島部屋の部屋付き親方である15代武蔵川(元横綱・武蔵丸)が、2013年4月1日に力士2人と床山1人を連れて藤島部屋から分家独立する形で武蔵川部屋を再興した。部屋の施設は2012年12月に閉鎖された中村部屋の建物を借り受けている。同年8月29日には17代雷(元小結・垣添)が藤島部屋から移籍して部屋付き親方となった。1931年に12代武蔵川(元幕下・鴨緑江)が当時の雷部屋の師匠である7代中川(元幕内・鬼鹿毛)が亡くなった後に、残された弟子たちを引き取る形で武蔵川部屋を創設した。三熊山が十両に昇進したものの、1933年に12代武蔵川は武蔵川部屋を閉鎖し、三熊山を含めた弟子は鏡山部屋へ移籍した。
出典:wikipedia
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