虎徹の作刀は地鉄が緻密で明るく冴え、鑑賞面にも優れ、切れ味鋭い名刀として名高い。別名、興里、長曽禰興里、長曽禰虎徹、乕徹ともいう。通常虎徹といえば、この興里を指す。なお、興里は甲冑師であったため刀剣の他にも籠手、兜、鍔などの遺作もある。50歳を超えてから刀工に成った。虎徹の作刀には国の重要文化財をはじめ、文化財に指定されているものが多い。また、土佐山内氏、尾張徳川家、奥平氏伝来の品、江戸幕府の大老・井伊直弼の差料であった脇差など、大名などの上流階級が所蔵する品であり人気が高く、江戸後期には大名道具、大名差しといわれる代物となっていた。その人気のため、虎徹は贋作が非常に多いことでしられ、在銘品(虎徹と銘のある品)の大半が偽物だと言われる。「虎徹」とは甲冑師・長曽禰興里(ながそねおきさと)の刀工時代の入道名のひとつである。「虎徹」の方が「興里」に比べて定着しているが、厳密には入道名を呼び名とするのは正しくない。刀工名としては興里、あるいは長曽禰興里と表記することが望ましく、刀剣の専門書などでは興里と表記することが多い。本工の銘字は「虎」の異体字である「乕」を用いて「乕徹」とも書き、「虎徹」に比べ「乕徹」と名乗った期間が長いこと、「乕徹」銘の方が後期作であること、刀剣書などでは「乕徹」と表記されることも多いことを考えると、「虎徹」よりは「乕徹」とするほうが妥当だが、本項では銘字の引用部分を除いては常用漢字を用いて「虎徹」と記す。「ながそね」は長曽根、長曾根、長曽禰、長曾禰などと表記されることも多く、虎徹も他の長曽禰一族も「長曽祢」と銘しているため「長曽祢」が正しいが、本項では銘字の引用部分を除いては印刷標準字体を用いて「長曽禰」と表記する。なお、長曽弥、長曾弥と表記される場合もあるが「禰(祢)」と「弥」は別字であり、これは完全な誤りである。「虎鉄」と表記されることも少なくないが、「虎鉄」という架空の刀剣類、刀工等を指し示す場合を除けば誤りである。長曽禰の一族は近江にルーツを持つ、主に甲冑などを作る鍛冶集団であった。室町時代から記録が散見されるが、江戸中期以降は優れた者がいなかったためか、長曽禰の名を冠する者はいないと言う。日光東照宮に長曽禰一族が作った金具があることから、東照宮建立当時はそれなりの知名度があったとされる。一門には、長曽禰才一、長曽禰興寛、長曽禰三右衛門利光、長曽禰播一山、長曽禰助七などがおり、興里もその一人である。また一説には、門人の興正は興里の甲冑師時代からの助手であったと言う。甲冑師であった長曽禰興里が江戸に移住後刀鍛冶に転職し一門を旗揚げする。開祖長曽禰興里をはじめ、二代目長曽禰興正、興久、興直。また、大坂に長曽禰長広なる刀鍛冶がおり、銘振り、作風の点から言って直接的な関係は見いだせないが、血統的な繋がりは否定出来ない。虎徹は石田三成の佐和山城下(滋賀県彦根市)生まれ。幼少期に関ヶ原の戦いがあり、佐和山城が落城したため福井から金沢に逃れた。金沢では甲冑の名工として知られた。太平の世となって甲冑の需要が減ったためと思われ、江戸に移って刀鍛冶に商売替えしたのは50歳を超えてからである。兜や古釘など、古い鉄を溶かして刀を作り、その古鉄の処理に関する自信からかはじめは古鉄入道と名乗っていたが、その後中国の故事により、虎徹と改める。虎徹は歳とともに急激な成長を遂げ、寛文の終わり頃から延宝の始めが絶頂期であった。作刀上の師は諸説あるが和泉守兼重とされる。没年については定かではないが、「乕徹の研究」では延宝6年(1678年)6月24日に没したとされる。虎徹の作刀期間は、年紀から考えて明暦2年(1656年)に始まり延宝5年(1677年)に終わったものと思われ、およそ20年にわたり刀剣を製作している。名甲図鑑続輯(めいこうずかんぞくしゅう)には、「明暦元年乙未八月長曽祢奥里於武州江戸作之」と銘のある兜が掲載されている。翌2年3月の脇差が最初の年紀であるため、その間に刀鍛冶として独立したと思われる。ただし、刀鍛冶になるには数年の修業が必要なため、作刀の修行をしながら兜などを作って生活を立てていたと考えるのが妥当だと考えられている。作刀場所:一説に近江で刀工になり後江戸に移るとされるが、上記のような「於武州江戸」などと銘のある兜があること、師匠とされる和泉守兼重が江戸にいることなどを考えると、近江での作刀は現存しないと思われる。江戸での作刀場所は初め本所割下水、晩年になり「住東叡山忍岡辺」とある刀剣が存在することから、上野東叡山寛永寺付近とされている。反り極めて浅く、武骨な寛文新刀姿の作が多い。太平の世であったため槍や薙刀等の需要に迫られず、ほぼ刀と脇差の製作に専念しており、短刀は極めて少ない。虎徹の銘は幾度となく切り方が変わっており、20年という短い作刀期間に数種類の銘がある。その理由のひとつには生前から贋作が出回ったことがあると言われている。甲冑師時代、刀工時代のごく初期は「興」という字を略し「奥」のような字になっており、これを「略おき」などと呼ぶ。またそのまま字を崩さずに切る「興」の字を「いおき」と呼ぶ。「興」の最後の画が平仮名の「い」のように見えることに由来する。また「興」の字の最後の画が片仮名の「ハ」、になるもの(寛文8年、同11年、12年、晩年に間々見る)を「ハおき」と呼ぶ。(「略おき」の場合も最後の画は「ハ」になる。」「虎」という字も、初期の「虎」は虎の尻尾が撥ねたようになることから「ハネとら」、後期の「虎」の俗字を用いた「乕」を「ハコとら」という。寛文11年、延宝2、3年には、初期の「ハネとら」銘とも違う「虎」の字で、「虎入道」という銘を切っており、これを「とら入道」と言って、「ハネとら」と区別する。一般的に「ハコとら」時代の刀剣のほうが出来が良いとされ、今日重要文化財に指定されているものは全て後期の作である。長曽祢奥里古鐵入道、長曽祢奥里作、長曽祢奥里虎徹入道、長曽祢虎徹入道興里、乕徹入道興里、長曽祢興里入道乕徹、長曽祢虎入道など。ただし、虎徹の銘はこの限りではない。また晩年には「住東叡山忍岡邊」と添銘するものもある(「略おき」の部分は便宜上「奥」と表記した)。虎徹は斬れ味が良いことで有名である。師匠と目されている和泉守兼重と同様、試刀家の山野加右衛門、勘十郎親子が試し切りを行ったものが多く、人間の胴体を2つ重ねて斬った(貳ツ胴)、3つ重ねて切った(三ツ胴)などと金象嵌銘に記されている物が多々あり、4つ胴を切った刀(四ツ胴)も一振り現存(旧御物、現東京国立博物館蔵)する。懐宝剣尺、古今鍛冶備考などの刀剣書には、最上大業物に列せられている。また、石灯籠を切った、兜を割ったとされる虎徹も残されており、斬れ味が良い上に強度もあった。虎徹は元来甲冑師であるため、刀身彫刻の名手でもあり、同作彫りには「同作彫之」「彫物同作」などとあり、虎徹の中でも非常に高価である。虎徹は大黒天を好んで彫っており、大黒天を彫った刀剣が数点現存する。この大黒天は戦神でもあるが、むしろ福神として彫ったものだと言われている。今日虎徹の姿は反りが浅く一般的に見栄えが良いとは言われていない。しかし鉄が明るく冴えたものが多い点が評価されている。その作刀技術は高く美術工芸品として第一級の評価がなされている。また重要美術品に認定されている大黒天の彫りのある小脇差を見ても分かるように、豪商などからも需要があり、また大名などの上流階級からも需要があった。明暦の大火で多くの刀剣が消失したことによって江戸での刀剣の需要が増したことも、虎徹の人気を押し上げた要因のひとつである。その人気のため供給が追いつかなくなり、偽物が生前から出回った。そして、延宝6年に虎徹が死去するとますます贋作が横行し、虎徹の死後100年経った時代の刀剣書には「虎徹は偽物だらけ」と書かれている。江戸後期になると関西出身者で刀剣の目利きであった鎌田魚妙が、津田助広などを絶賛したため、番付では津田助広、井上真改、堀川国広などが上位にきて、虎徹は8位であった。しかし、虎徹について「東国鍛冶数百家に並ぶべき者なき上工也」と記し、東国鍛冶の中では一番高く評価している。その後、水心子正秀により復古鍛錬法が提唱されてからは実用的な刀剣がもてはやされ、虎徹の刀は再び評価される様になる。虎徹はその人気のために、現存する刀の大半が偽銘の偽物であり、幕末の刀工で刀剣愛好家、贋作家の細田直光(後述の近藤勇の偽虎徹の銘を切った人物とされる)は、自分が今まで作った虎徹の偽銘を『虎徹押し型』という一冊の本にして出版したほどである。戦前には犬養木堂も虎徹の脇差を愛蔵しており、現在における虎徹の評価も幕末からの延長線上にある。上述のように虎徹の贋作は極めて多い。虎徹は偽物であることが前提条件といっても良く、江戸時代の刀剣書にすら偽物が多いと書かれている。乕徹大鑑、長曽祢乕徹新考などでは偽物の研究もされている。新選組局長・近藤勇は虎徹の持ち主として一般に有名であり、講談などでの近藤の決め台詞として「今宵の虎徹は血に餓えている」が広く知られている。どのようにして手に入れたかについては諸説ある。実際には近藤の虎徹は、当時名工として名を馳せていた源清麿の打った刀に偽銘を施したものとする説もある。近藤自身は所有の刀を虎徹と信じており、池田屋事件の後に養父宛てにしたためた手紙の中に「下拙刀は虎徹故に哉、無事に御座候」とある。他に将軍家から拝領した長曾祢虎徹興正の作であったとする説や、「虎徹の大小」との記載があることから複数あった説などがあり、子母沢寛の『新撰組始末記』では「江戸で買い求めた」「鴻池善右衛門に貰った」「斎藤一が掘り出した」の三説を挙げている。国の重要文化財に指定されている現存刀は以下のとおり。
出典:wikipedia
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