長崎市の地名では、長崎県長崎市の町名について記述する。ここでは、2013年現在、長崎市役所本庁が管轄する町について記述する。各支所・行政センター管轄の町は、こちらを参照。上図は中心部の町境の変遷をGIFアニメーション化したものである。紫は住居表示未実施、黄色は実施した町である。なお、大浦町・小曽根町・常盤町・浪の平町・東山手町・古河町・松が枝町・南山手町の各町は省略した。
1889年の市制施行時、旧長崎区の87町が長崎市に引き継がれた。1963年以降の住居表示実施まで、ほとんどの町が消滅せずに残った。隣接する形で、1904年に長崎港埋立事業で誕生した10町(印)とあわせて、最後に町名変更が行われた1935年時点の95町を以下に列挙する。上長崎村には10郷があった。1889年年の町村制施行時、1898年、1920年に分けて長崎市に編入された。まず、1889年の町村制施行時、7郷(☆印)の各一部が長崎市に編入された。1898年に7郷(※印)の各一部が長崎市に編入された。ここまでで、8郷が長崎市に編入された。うち4郷は全域が長崎市に編入されたが、残りの4郷は一部が上長崎村に残されたものであった。長崎市に編入されなかった2郷と合わせた6郷は、1920年に長崎市に編入された。1898年までに編入された区域は1913年に、1920年に編入された区域は1923年に郷が町に改められ、1964年以降、住居表示実施に伴い順次町名が変更された。灰色は長崎市に編入されていない旧・上長崎村で表すことを示す。下長崎村には3郷があった。まず、1889年年の町村制施行時3郷の各一部が長崎市に編入された。そして、1898年に残りもすべて長崎市に編入された。これらの3郷は1913年までそのまま用いられた。1913年に郷が町に改められ、1973年に住居表示実施に伴い町名が変更された。戸町村は発足当初、5郷があった。1898年、上郷、蓑尾郷が小ヶ倉村に編入された。残った下郷・大浦郷・浪ノ平郷が長崎市に編入された。これらの3郷は1913年までそのまま用いられた。1913年、郷が町に改められ、1973年以降、住居表示実施に伴い町名が変更された。★印は1974年に町名変更されたことを示す浦上山里村は発足当初、5郷があった。1898年に里郷・馬込郷の一部が長崎市に編入され、残った浦上山里村には寺野郷が編入された。編入された2郷は1913年までそのまま用いられた。浦上山里村は、残りは1920年に長崎市に編入され、6郷は1923年の町名設置まで使用された。ここでは浦上山里村に隣接した、埋立地の10町(1904年発足、印)も便宜上、あわせて記述する。1913年、郷が町に改められ1964年(城山町のみ1966年)、住居表示実施に伴い町名が変更された。灰色は長崎市に編入されていない旧・浦上山里村で表すことを示す。淵村は発足当初、浦上淵・神ノ島の2大字があり、大字浦上淵には13郷があった。1898年、大字神ノ島と小瀬戸郷、木鉢郷の一部が小榊村となり、寺野郷が浦上山里村に編入された。残った11郷が長崎市に編入された。大字浦上淵は廃止され、11郷は1913年までそのまま用いられた。ここでは淵村に隣接した、埋立地の4町(1904年発足、印)も便宜上、あわせて記述する。1913年、郷が町に改められ1965年(竹ノ久保町のみ1966年)、住居表示実施に伴い町名が変更された。※現・飽の浦町は瀬ノ脇町のほかに飽ノ浦町1丁目からなる。長崎市では1938年以降に編入した区域に支所を置いている。また、2005年以降に編入した区域には行政センターを置いている。これらの管轄下にある区域については、各項目の「町」の項を参照されたい。以下、1938年以降編入の区域であるが、本庁管轄になっている区域について記述する。
出典:wikipedia