野間神社(のまじんじゃ)は、愛媛県今治市神宮(かんのみや)に鎮座する神社である。式内社(名神大)で、旧社格は県社。祭神については諸説あるが、現在は以上の四柱とする。飽速玉命は速谷神社の祭神で、阿岐の国造の祖。若弥尾命はその三世の孫で、怒麻の国造の祖。野間姫命は若弥尾命の妻とされる。野間神社が「野間天皇神」「濃満天皇神」などと呼ばれたことから祭神・牛頭天王とし、須佐之男命を主神とする説もあるが、『野間神社誌』では飽速玉命・若弥尾命・野間姫命を主祭神とし、須佐之男命は配祀であろうとする。ただし、中世、牛頭天王を祭神とした時期があったことは別当・乗禅寺に残る文書などから明らかである。創建については不詳だが、怒麻国造となった若弥尾命が、その祖・飽速玉命を奉斎したことに始まると考えられている。『国造本紀』では、若弥尾命が怒麻国造に定められたのは神功皇后の御代とされる。社伝によれば、701年(大宝元年)社殿が造営された。766年(天平神護2年)には従五位下を授けられ、神戸二烟を充てられた。837年(承和4年)には大山祇神社とともに南海道で初めての名神に預かる。延喜式では名神大社に列し、940年(天慶3年)には海賊宿祷により正二位に昇叙する。中世には河野氏をはじめとする武将の尊崇厚く、江戸時代には松山藩の雨乞い祈願所とされた。1871年(明治4年)郷社に列格、1895年(同28年)県社に昇格。続日本紀等には「野間神」、三代実録には「野間天皇神」、延喜式神名帳には「野間神社」とある。野間には乃万・濃満・濃万などの字を当てることもあったが、野間郡(国造本紀の怒麻国)に由来することはいうまでもない。建長田文には「乃万宮」、国分寺勧請神名帳には「正一位 濃満天皇神」とある。「大梵天王宮」「乃万社大梵天王宮」等という例もある。土地の人々の間では「天王社」「天王宮」などが用いられ、「テンノンさん」と俗称された。5月3日に行われる例大祭には浦安の舞、大名行列、獅子舞、藁御輿、紺原御船などが奉納される。中でも獅子舞は愛媛県の無形民俗文化財、藁御輿は今治市の無形民俗文化財に指定されている。
出典:wikipedia
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