李 利(り り、生没年不詳)は、中国の後漢時代末期の武将。涼州北地郡の人。董卓の部将李の甥(兄の子)。同じく李の兄の子の李暹との親族関係は不明で、兄弟とも従兄弟とも考えられる。興平元年(194年)3月、李利は李の同僚である樊稠・郭汜と共に、馬騰に内応して反乱を起こした中郎将杜稟、侍中馬宇らを槐里に攻め滅ぼし、馬騰・韓遂の連合軍も長平観で撃破した。しかし、樊稠は同郷の友人である韓遂を陳倉まで追い詰めながらも見逃し、談笑して別れた。この現場を目撃した李利は、事の次第を李に密告する。そのため李は、会議と称して樊稠を呼び出し、その場で粛清したという(『三国志』魏書董卓伝注『九州春秋』)。しかし樊稠の死は、実際には約1年後の興平2年(195年)2月である。『後漢書』董卓伝の本伝にも記述があることから、李利の密告自体は事実だが、樊稠粛清の直接の原因になったとは考えにくい。樊稠は勇猛果敢で衆望厚かったため、李から恐れられていたことが、より大きな原因と思われる(『後漢書』董卓伝注『献帝紀』)。この件を最後に、李利は史書から姿を消す。小説『三国志演義』では、「李別」という人物として登場しており、何らかの事情で『演義』の作者が李利の名を改変または誤記したものと思われる。史実同様、樊稠についての密告を行っている。その後、曹操が献帝を保護すると、李暹と共に李軍の先頭に立って献帝を奪い返そうとしたが、曹操の部将・許褚に、李暹もろとも一刀の下に斬り捨てられた。
出典:wikipedia
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