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鹿久居島

鹿久居島(かくいじま)は、瀬戸内海の日生諸島にある有人島。岡山県備前市に属する。「うちわだの瀬戸」を挟んで本土と向き合う。日生諸島のみならず岡山県内でも最大の島で、地形は山がち。島内には鹿が多い(=久しく居る)ことから鹿久居と名付けられた。無人島の期間が長かったが1947年(昭和22年)から入植が進められ、2010年(平成22年)3月末現在の人口は12人。昔は漁民が居住して鹿久居千軒とも言われたが、やがて無人島になった。1455年(康正元年)には山名宗全に敗れた赤松則尚や有馬小次郎が備前国に落ち、赤松則尚は「カクイ島」で自害したという。江戸時代に入ると、岡山藩主の池田氏によって1646年(正保3年)、1678年(延宝6年)、1679年(延宝7年)と1680年(延宝8年)に鹿狩が行われた。1679年(延宝7年)からは鴻島、梔島(現・前島)とともに岡山藩の馬牧場となり、島を開墾して飼料が育てられた。しかし、1691年(元禄4年)に5頭が産まれたのが最高で1698年(元禄11年)には牧場は廃止され、島は藩の流刑地となって西南岸の現寺湾の奥に流人小屋が設けられた。1706年(宝永3年)から1709年(宝永6年)まで約160人前後の流人がいて、身分を10段階に分けられて開墾や薪集めなどを行なっていた。しかし1710年(宝永7年)の時点で5~6反しか開墾できず、費用の問題などからこの年で同島への流刑は取り止めになった。その後は無人島として狩や林産の場となったが、1770年(明和7年)に禁猟になり藩の御林とされた。1820年(文政3年)には寒河村に番所が設けられて山廻り役人が来た。1858年(安政5年)の記録では、榊、松、肥草や落葉敷枝などが採集され、日生・寒河村から約600匁の運上銀が治められた。1947年(昭和22年)から入植が再開し、現在はミカン栽培が盛んである。また島の周辺は近世初頭から好漁場となっており、かつては漁業争論も起きた。1993年(平成5年)には弥生時代の高床式住居などを復元した観光施設が建設され、貫頭衣の着用や赤米を含む食事が可能となっている。2004年(平成16年)に頭島との間に頭島大橋が完成し、さらに同年には本土と鹿久居島を結ぶ橋の建設が国の事業に採択され、備前♡日生大橋として2015年(平成27年)に開通。これにより橋を介して本土と陸続きとなった。アオサギの集団繁殖地であり、1953年(昭和28年)10月1日に国指定鹿久居島鳥獣保護区(集団繁殖地)に指定されている(面積 662 ha)。備前♡日生大橋(びぜん♡ひなせおおはし)は、本土と鹿久居島を結ぶ道路橋である。2006年(平成18年)に仮称「日生大橋」として事業着手し、2010年(平成22年)3月に着工。橋の名称は2013年(平成25年)8月から10月にかけて公募し、決定。2014年(平成26年)10月2日には橋の連結式が行われ、2015年(平成27年)4月16日に開通。区分された歩道はなく、橋の上は駐停車禁止である。また、橋の中ほどの両側に待避所がある。

出典:wikipedia

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