大友 黒主 / 大伴 黒主(おおとも の くろぬし、生没年不詳)は平安時代の歌人・官人。姓は村主。六歌仙の一人。官位は従八位上・滋賀郡大領。『古今和歌集目録』に「大伴黒主村主」、また『天台座主記』第一巻安慧和尚譜に「(滋賀郡)大領従八位上大友村主黒主」とあることから、出自は大友村主とされる。大友村主氏は諸蕃(渡来人の子孫)で、『続日本後紀』では「後漢献帝苗裔也」とある。大友皇子(弘文天皇)の末裔との伝えもあり、『本朝皇胤紹運録』では「大友皇子─与多王(大友賜姓)─都堵牟麿─黒主」と系図を掲げるが、年代が合わない上に、皇孫が村主の姓を称することが合理的でないことから史実ではないとされる。また、古記録に大伴黒主と表記されることが多いが、古代豪族の大伴氏(大伴連)は淳和天皇(大伴親王)の忌諱のために、黒主の時代には既に「伴氏」に改姓していることから、大友村主と大伴連は関係がないとされる。このことから歴史教材では「大友」の表記が採用される一方で、文学資料には「大伴黒主」と表記されるのが普通であることから古典教材では「大伴」の表記が採用されている。近江国滋賀郡大友郷の人。貞観年間、園城寺神祀別当となる。鴨長明『無名抄』に没後近江国志賀郡に祭られたとの記事がある。歌人としては、大嘗祭に風俗歌、宇多法皇の石山寺参詣に歌を献上して賞されたとされる。『古今和歌集』の4首をはじめとして、『後撰和歌集』『拾遺和歌集』等の勅撰和歌集に11首の和歌が収録されている。なお、六歌仙の中で唯一小倉百人一首に撰ばれていない。古今和歌集仮名序に「大伴黒主はそのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如し」と評される。
出典:wikipedia
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