南沼原地区(みなみぬまはらちく)は、山形県山形市南西部の地区名。南沼原地区は、南村山郡の南館村、沼木村、吉原村が合併してできた南村山郡南沼原村を基としており、地名は合併した3村による合成地名による。山形市市街地の南西部に隣接し、地区の西と南は須川沿岸までを範囲とする。扇状地の扇端にあたり、伏流水が自噴する水の豊かな場所だが、表層水は少なく農業用水として利用しにいため、多くの井戸が掘られた。また、比較的低地にあることや、須川と犬川の合流地点にあたるため、水害の危険性がある。山形市の洪水ハザードマップでも、水害の注意箇所とされている。条里制の遺構が見つかるなど古くから人が住んでいた。江戸時代、南館村は山形藩領に、沼木村と吉原村は堀田領(佐倉藩)飛び地として、柏倉陣屋に属した。1889年に、南村山郡の南館村、沼木村、吉原村が合併してできた南村山郡南沼原村となった。農業を主とする地域だったが、1954年、隣接する山形市に編入され、以後、立地条件が山形市街地に近いことから急速に都市化が進んだ。1970年代半ば頃から宅地化が進み、国道348号の沿線はロードサイト店が建ち並ぶようになった。近年では、吉原土地区画整理事業により、郊外に大型のショッピングセンターが立地するなどし、付近沿線に郊外型のロードサイト店が再び増加しつつある。江戸時代には、山形藩と周辺の地を結ぶ多くの街道が整備された。現在では、主要地方道などに面影を残している。南沼原地区では、山形城の南西側に位置し、3つの街道が集まり賑わっていた。 深町
出典:wikipedia
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